カチンコ人生 ヨーイ スタート!!

自分史

『私と映画と人生と』

  大西 俊郎

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”エースの錠”さんは名投手?? 撮影所時代

日活映画音楽集 スタアシリーズ 宍戸錠

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       撮影所時代 (その5)

 今年もペナントレースが始まった。折り返し点を過ぎてタイガースが独走の気配濃厚である。タイガースファンの私としては優勝が楽しみだ。いつまでもこの楽しみを忘れないでいたいものだ。

 それにしても昔の川上巨人の9連覇は凄かった。私は下宿の森さんのお宅で例年日本シリーズを見せて頂いた想い出がある。撮影所のスタッフ・キャストには圧倒的に巨人ファンが多かった。阪神ファンの私としては肩身が狭かったのを覚えている。

 ここ一番の大勝負の時には、撮影を一時中断して食堂のテレビの前に陣取る監督もいた。そのしわ寄せで撮影が夜遅くなることがあっても、誰からも文句は出なかった。むしろ話の分かる監督として評判はよかったようだ。

 野球の話となると思い出す。所内では私もよくキャッチボールをして遊んだ。相手は企画部の陶山ちゃんとプロデューサ室事務の中本君だ。二人とは同年輩とあってウマが合い、よく話をした。そんなことから所内で対抗の野球の試合をしたことが何度かあった。企画チームと俳優部の試合である。私も企画部・プロデュサー室合同チームの一員として参加させて貰った。
                                           
狛江小学校のグラウンドを借りて、或る日のこと試合が行われた。俳優と言ってもスターが出たわけではない。スタークラスは宍戸錠さんがピッチャーで投げたのを覚えている。あとは郷ちゃん、高品格さん、野呂ちゃんが出ていたと思う。企画チームはほとんど若手のプロデューサー助手で占めていた。さすが俳優部だけあって大部屋女優さんが5,6人応援に来て黄色い声を盛んに張り上げていた。賑やかなことこの上ない。
Picher
 錠さんが投げると中々良い球がきた。うまいものである。三振を取ると、エースの錠らしい仕草でガッツポーズをして見せた。企画チームの投手は陶山ちゃんだ。捕手は中本君が勤めた。彼のスピードボールは一級品だった。錠さんが打席に立った。声援がひときわ高くなる。私はサードを守っていたが、前の打席で強襲ヒットを打たれていただけに慎重に構えていた。錠さんが打った。今度は高々と上がった三塁線のフライだ。私が懸命にバックして倒れながら捕球するのを見て、錠さんはバットを叩きつけて悔しがった。
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試合は点数の取りっ子で一点差で俳優部の勝利となった。試合後、握手した錠さんの手は分厚くて温かかった。「ファインプレーだったな、ヒット一本損したぜ」 錠さんはそう云うと手にグッと力を入れた。みんなが彼のピッチングをほめると「いやぁ、それほどでもねえやな」と照れていた。私は錠さんの一面を見た思いだった。その後、缶ビールが配られ、グラウンドで飲んだビールの旨かったこと、忘れられない味である。

 所内対抗野球は何度かやったが、企画チームの成績は余り振るわなかったと思う。特に照明部や録音部相手では歯が立たなかったようだ。15-3とか、10-0とか屈辱的な大敗を喫したように思う。

≪見ておきたい邦画≫

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青春残酷物語

”夢なんかもっていない” 無軌道に突っ走る若者たち!

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おとうと

美しくも哀しい姉弟愛を描く

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悪い奴ほどよく眠る

政治汚職の仮面を剥げ!!

≪見ておきたい名画≫

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太陽がいっぱい

美貌の青年ドロンが演じた青春サスペンス 不朽の名作

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サイコ

異常心理スリラーの古典的名作

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武器よさらば

壮大なスケールで描く永遠の愛の讃歌

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日活の看板スター 裕ちゃんと親衛隊たち

        撮影所時代 (その6)

Photo_2 ビールを飲むと、と云っても私はほとんど飲まないのだが、思い出すことがある。何時頃そうなったのか知らないが日活撮影所の食堂は所長命令で酒類販売が禁止されていた。だが、ただ一人例外がいた。裕次郎である。昼食の時間になると、裕ちゃんのテーブルの前には必ずビール瓶とコップが置かれていた。

裕次郎人気は止まることを知らず、興行収入は群を抜いていた。潰れかけていた日活の救世主にビールを飲ませる位安いもんだと所長は思ったのだろう。裕ちゃんの周りには親衛隊のように幾人もの俳優が群がっていた。俳優部の小林正彦氏もその一人で、通称(こまさ)と呼ばれていた。後の石原プロの専務で裕ちゃんの補佐役に徹し切り、今もまき子夫人と渡社長を守り続けている大番頭だ。いかつい顔で声も大きかったのを覚えている。

話は戻るが裕ちゃんが飲んでいても、誰も一緒に飲んでいるのを見たことがない。裕ちゃんが勧めても手を振って断っていた。昼間から飲んでいい特権は、裕ちゃんだけのものと心得ていたのだろう。

裕ちゃんは歌の方ではテイチクの専属だったせいか中島ディレクターがよく撮影所に来てPhoto_3 いた。製作部のImado先輩と打ち合わせをしていたのを覚えている。滝田 順という作詞家の名前をご存知だろうか。これはImado先輩のペンネームだ。裕ちゃんの歌も「泣かせるぜ」「あじさいの歌」などを作っている。旭や錠さんの挿入歌も多数作って稼ぎまくっていた。先輩は仕事の合間にヒマをみては食堂でせっせと歌作りにいそがしかった。口さがない助監督や録音部さんが「印税がっぽりだろう」とImado先輩をからかっているのを、何度となく聞いたものだ。立場をうまく利用したと言えそうだが、やはり才能がなければモノには出来ない。
Kenka

先輩には才能の閃きもあったし、何人かの女優さんとの艶聞も聞こえてきた。撮影所はそういう話題には事欠かない場所でもある。監督と女優とのスキャンダルなどは日常茶飯事だった。週刊誌が作るネタもあれば、火の無い処に煙を立てることもある。ウソと思っていたら本当だったと言うこともあった。真実は神のみぞ知るだ。


ところで仕事上の先輩、Miyaさんが何時とはなく撮影所から姿を消していた。Imado先輩に聞いてみると、「あいつは放浪癖があるからな。どこか稼ぎの良い所をみつけたんじゃないか。」との返事。いろいろ教えてくれた人だけに残念で、下宿まで探しに行ったが、もぬけの殻、それっきりとなった。

≪見ておきたい邦画≫

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嵐を呼ぶ男

裕次郎人気を不動のものにした日活青春アクションの決定版

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名もなく貧しく美しく

ろうあ者同士の夫婦が助け合いながら激動の混乱期を生き抜いていく感動作

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笛吹川

戦乱の世に笛吹川河畔で支配者に翻弄されながら生き抜く百姓一家

≪見ておきたい名画≫

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チャップリンの独裁者

チャップリンがヒトラーの独裁政治を痛烈に風刺したコメディ

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戦場にかける橋

人間の名誉と誇りを賭け、闘いの火花を散らす男たち

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恋人たち

白昼夢を思わせる30分に及ぶラブシーンが見事

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挨拶の素敵な俳優さんは?!

        撮影所時代 (その7)

 挨拶のことは前にも一寸触れたが、挨拶するにも姿勢の大切さを教えてくれたのが、二谷英明さんと芦川いづみさんだ。二谷さんはエイメイさんと親しみを込めて呼ばれていた俳優さんだが、その姿勢たるや、まさに紳士であった。
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「お早うございます」と通路やステージの出入り口で声を掛けると、必ず丁重に頭を下げて「お早うございます」と挨拶が返ってきた。私のような下っ端のスタッフに対してもである。これは本当に嬉しかった。まだ若い私でも一人前として認めてくれているという気がしたのだ。

女優さんの中で感心したのは芦川いづみさんだ。通路ですれ違うときでも、声を掛けると必ず立ち止まって微笑みを浮かべ「お早うございます」と挨拶してくれるのが常であった。
ほとんどの女優さんは「お早うございます」と声をかけても、ちょこっと頭を下げて通り過ぎるか、返事だけはしても立ち止まろうとはしなかった。いづみちゃんのような人は稀であろうか。挨拶に心がこもっていると感じたのは、いPhoto_5 づみちゃんと小百合ちゃん位だろう。                  

いづみちゃんは現在、俳優の藤 竜也氏の夫人として銀幕を引退されているが、幸せな家庭を営まれているようだ。長生きしていつまでもお幸せであって欲しいと願っている。

いづみちゃんは私にとって宝になる思い出の人だ。どんな宝かいずれ書きたいと思っている。

或る日のお昼休み、私は所内を散策していた。するとボールがコロコロ転がってきた。軟式のボールだ。見ると小百合ちゃんと衣装部の青年がキャッチボールをしている。受け損ねた小百合ちゃんが「おねがいしま~す」と云った。ボールを拾い上げた私は「行くよ!」と答えて山なりのボールを投げ返した。見事にグPhoto_6 ラブで受け取った彼女は「ストライク!」と叫んで、にっこり笑ってくれた。その笑顔の何とキュートだったことか。

まだ10代の頃の小百合ちゃんは活発な女の子だった。この当時は毎日のようにボール投げをしている二人の姿を見かけたものだ。昼休みの日課だったのかもしれない。他にスポーツをする施設も無かったからだろう。一時は撮影のための練習かとも思ったが、そうではなかった。余程、野球が好きだったのかも知れない。後にも先にもキャッチボールをしている女優さんなど小百合ちゃん以外にはお目にかからなかった。

≪見ておきたい邦画≫

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にあんちゃん

今村昌平初期の感動作!!

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蟹工船

戦前のプロレタリア作家、小林多喜二の代表作「蟹工船」。今なぜブーム??

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純愛物語

原爆症に侵された少女の純愛を描いた傑作

≪見ておきたい名画≫

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黄色いリボン

ジョン・フォード監督による騎兵隊3部作の逸品!

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第三の男

ミステリー映画の最高峰作品 男に目もくれず立ち去る女!

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紳士は金髪がお好き

モンローの艶やかな魅力溢れるミュージカル・コメディ

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監督に叱られた想い出の映画「やくざの詩」

            撮影所時代 (その8)

Yakuza 「やくざの詩」は1960年(昭和35年)製作作品。監督は舛田利雄、撮影 藤岡粂信、照明、藤林甲、美術、佐谷晃能、音楽 黛敏郎、録音 中村敏夫、編集 辻井正則。

出演は小林旭、芦川いづみ、南田洋子、二谷英明、垂水悟郎、和田浩治。

本作品は題名に似合わず、ヒューマニズムの薫り高い名作と云えるアクション映画だ。舛田組など本来私のタッチ出来る作品ではなかったのだが、担当者の中川さんから突然手伝ってくれと頼まれて、途中からお手伝いをさせて貰った次第である。

 クランク・アップを目前に控え、撮影は終盤の追い込みにかかっていた。スケジュールの都合で何と音楽ラッシュを深夜に行うことになった。確か時間は12時を回っていたと思う。

 黛さんにきていただいたのは12時前、だがラッシュは遅れること約1時間、黛さんは文句も言わず、待って下さった。ところが監督の所へ時間が遅れることを伝えに行くと、いきなり雷鳴が落ちてきた。「何をもたもたやってんだ!編集部へ行って早くしろって云って来い!!」
鬼の舛田で名高い監督が、私を叱る。何と理不尽なと思ったが、監督の命令を無視する訳にはいかない。鬼舛の声はドスが効き私はビビッた。

 編集部へ行き、辻井さんにその旨伝えると、温厚な辻井さんが熱くなって私に応える。Photo
「無理言うなよ。上がってきたラッシュを全部注ぎ込めって言ったのは自分じゃねえか。どんなに急いでもかかるもんはかかるんだ。あと30分、待ってくれ」
と言われても、そのまま返事をしたのでは監督を怒らせるだけだ。
「もうすぐ出来るそうです」と伝えて私は逃げるように監督室を出た。幸い黛さんが監督の相手をしてくれていたので助かった。

 サード助監督が私を慰めてくれた。「撮影が遅れてカリカリしてんだよ。余り気にするな」
私は頷いた。音楽ラッシュは午前1時半になった。深夜の所内に私のマイクの声が静寂を破るように響いた。
「舛田組、舛田組、只今から音楽ラッシュを開始します。関係者の方は至急試写室にお入り下さい」

 かくして音楽ラッシュが始まった。私は黛さんと最後部のシートに腰かけ、画面を見ながら検尺する。未見の方のためにストーリーを紹介しよう。

小林旭扮する主人公滝口哲也は医師として将来を嘱望されていたが、或る日何の遺恨もないやくざに恋人を殺された。その日から哲也は狂ったようにそのやくざを捜し求めた。

哲也はピアノ弾きと称して黒沢組と抗争中の佐伯組に潜り込んだ。佐伯組に出入りする老医師、水町にはインターンの清純な娘道子(芦川いづみ)がいた。黒沢組と佐伯組の不和に乗じて相川一郎(二谷英明)という拳銃ブローカーが出入りを始めた。

昔、哲也に命を助けられた相川は、哲也が恋人を撃ったスペイン製のゲルニカの弾丸を探し求めていることを知り愕然とした。日本に三つしかないというゲルニカを弟の次郎(垂水悟郎)は持っているのだ。

次郎は兄の忠告を嘲い、哲也を狙った。哲也は腕を掠った弾が、ゲルニカの弾丸と知って小躍りした。次の夜、ゲルニカの弾丸は哲也を逸れて水町医師を殺した。娘の道子は父に取り縋って泣いた。

黒沢組が次郎を客人に迎え、佐伯組に殴り込んで来た。哲也は宿敵ゲルニカと対決、一瞬、次郎の拳銃が飛び、一郎が次郎の助命を乞うた。

次の夜の決闘を哲也に約した次郎は、情婦由美(南田洋子)を訪れる。だが、高飛びの同行を拒まれ、カッとして由美に殴りかかった。その時、不気味な音を立てて次郎の腕が折れた。それは醜い義手だった。次郎は由美を殴りつけ、哲也を求めて決闘場に向かった。

暗闇の中、次郎と哲也は対峙した。次郎の一発が哲也の首にかかったゲルニカの弾丸をはねた。復讐の呪いは解けた。銃を捨てた哲也に次郎が迫る。勝ち誇ったように哲也を狙う次郎、その時、由美を慕うチンピラの透(和田浩治)の拳銃が火を吹き。次郎は倒れた。

次郎を救おうと哲也の必死の手術が始まった。医者としての再起を賭けた手術だ。哲也の滴り落ちる汗を拭いながら助手を務める道子。時を刻む時計。手術が終わった。緊張して見守る哲也と道子。次郎の顔に赤みが差してきた。道子が歓びの声をあげた。夜明けの太陽が赤く輝き、次郎がうっすらと眼を開けた。

 ラッシュを見ながら私は数日前の舛田組夜間オープンを思い出していた。たまたまその夜井田組「トップ屋取材帖 悪魔のためいき」のFDB中で、オープンセットを覗きに行ったのだった。いづみちゃんが佐伯組の建物に入って行くシーンだ。真冬の1月の深夜とあって凍るような寒さだ。出番待ちのいづみちゃんはガタガタ震えていた。ドラム缶に火は入っていても風が刺す様な冷たさだ。

 私は傍へ寄って、声をかけた。
「風邪を引かないように気をつけて下さいよ」
「有難う、大丈夫よ」
いづみちゃんはそう答えてにっこり笑顔を向けてくれた。

 音楽ラッシュが終わったのは午前3時近かった。私は黛先生に謝った。
「遅くまで済みませんでした。お疲れになりましたでしょう」
「大変だよね、舛田組の仕事は。神経使うだろ」
黛先生は、そう答えて下さった。

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黛敏郎の世界

 音楽ダビングの日は本来の担当の中川さんがやってくれたので私はお手伝いするだけだった。終わって、旭さんの主題歌のはめ込みだ。ダビングで録ったカラオケに歌を乗せるのだ。

 間近で旭さんの歌を聞くのは初めてだ。頭のてっ辺から出るような甲高い独特の声。私は何時の間にか聞きほれていた。家路を辿りながら、「やくざの詩」を歌っている自分に気付いて思わず笑みがこぼれた想い出も懐かしい。

これは漫画の「ブラック・ジャック」を思わせるような映画である。

初号試写の評判は良かった。ヒューマニズム溢れる作品になったようである。自分のタッチした作品の評判がいいと本当に嬉しいものだ。

確かこの年、1960年の9月か12月だったと思う。音楽事務とエキストラ業務が統合されて東京芸能株式会社が設立されたと思う。社長は日活撮影所の宣伝課長だった小宮正雄さん、従業員には隅田さん、鈴木さん、吉永さん、それに私がいた。東京芸能は後に日活芸能と社名を変更したようだ。

当時、シナリオライターを志していた私はペンネームとして大西彬夫(あきお)や理也(まさや)などを使っていた。

≪見ておきたい邦画≫

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ギターを持った渡り鳥

「渡り鳥シリーズ」第1弾!!

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王将

不世出の将棋指し、坂田三吉を描く伝記ヒューマン・ドラマ

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愛妻物語

新藤兼人の監督デビュー作で自伝的物語

≪見ておきたい名画≫

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リオ・ブラボー

西部劇のおもしろさを一気に凝縮した作品

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勝手にしやがれ

ジャン・リュック・ゴダール監督の長編デビュー作で映画史上に輝く傑作

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或る夜の出来事

クラーク・ゲイブル主演の傑作ラブコメディ

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赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」

         撮影所時代 (その9)

 

 赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」
赤木は裕次郎、旭に続く第三のヒーローとして売り出された。デビュー作は私の担当作品「拳銃0号」である。SP物として作られた作品で、「霧笛が・・・」は赤木主演のロマンティック・ミステリーだ。

Photo_3
 監督は山崎徳次郎、企画・水の江滝子、音楽・山本直純、共演者は葉山良二、芦川いづみ、吉永小百合が出演している。水の江プロの仕事を担当させて貰ったのは初めてのことだ。 

 水の江さんは何とも気さくな人だった。愛用のタバコはマールボロ一辺倒。それとアシスタント・プロデューサーの羽田さんが親切な女性で、よく面倒を見ていただいた。羽田さんは「オハネ、オハネ」とみんなに愛されている人であった。

 本作品は映画「第三の男」を下敷きにした巧妙な作品で、熊井啓の脚本である。

 すずらん丸はエンジンの故障で出航を延期し、船員は陸に上がった。航海士の杉(赤木圭一郎)も船員たちと酒場“35ノット”に行くが、船員が女給のサリー(天路圭子)にからんだことから乱闘になる。杉も警官に連行された。

翌日、杉は友人の浜崎(葉山良二)に会いに出かけた。しかし、浜崎は二週間前に突堤で溺死体になって発見されたという。当局は自殺と断定していた。だが、浜崎の妹ゆき子(吉永小百合)は誰かに殺されたと思うという。森本刑事は浜崎が麻薬の売人だったと教えた。

杉の留守にサリーから電話がかかったと聞いて、会いに行くと彼女は既に殺されていた。杉は浜崎の恋人美也子(芦川いづみ)と浜崎の溺死現場に行く。ロープが刃物で切られたことを知った杉は他殺と判断した。

浜崎と美也子は“35ノット”の支配人渡辺の配下に襲われるが、撃退した。渡辺一味はサリーの友人和子(堀恭子)の命を狙っていた。杉は和子をすずらん丸にかくまった。和子はサリーの恋人が浜崎溺死事件の日から行方不明になっているという。浜崎が生きているのではないかと思った杉は、浜崎に会わせろと渡辺に詰め寄る。

浜崎が姿を現した。彼は杉に事件から手を引けと言う。杉がすずらん丸に帰ると、森本刑事から封書が届いていた。中には浜崎の麻薬密売の証拠写真が入っており、浜崎の居場所を教えるように書いていた。浜崎を自首させようとする杉。浜崎は麻薬を持ち出し逃亡しようと企てる。それと知った渡辺一味は浜崎を殺そうとする。

浜崎が隠れ家のホテルに帰ると杉と美也子が待っていて自首を勧めた。浜崎は二人に拳銃を向けた。その時、森本刑事が駆けつけ浜崎は逮捕された。だが、エレベーターに殺し屋がいた。刑事が殺し屋の相手をしている隙に浜崎は逃げ出した。しかし、浜崎は肩を撃たれ、やがて死んだ。翌朝、出航するすずらん丸を見送る美也子、船上には杉の姿があった。

赤木と芦川の淡い恋ごころを絡めた見ごたえのある作品だ。初号試写の評判もまずまずであった。山本直純さんの音楽もよく出来ていたと思う。          Photo_4

MDBの時の直純さんの指揮はまことにユニークだった。指揮棒を振りながらここぞというアクセントをつけるところでは、ヒョイと飛び上がるのだ。”ヒゲの直純さん”で通っており、かなり背は低かったが、人間的にはとても面白い人だったと記憶している。

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直純さん追悼の作品集

監督の山崎さんはSP作品の「事件記者」シリーズばかり撮らされていたのだが、ようやく認められ、赤木や旭の作品が撮れるようになったのは、デビュー作から付き合っている私には嬉しいことだった。そんなこともあって度々セットを覗きに行ったものだが、セットの出入り口でよくいづみちゃん、小百合ちゃんと出会ったのも懐かしい想い出だ。

≪見ておきたい邦画≫

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明日は明日の風が吹く

あの日の裕ちゃんが甦る

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用心棒

見る人全てを魅了する”痛快チャンバラ時代劇”

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黒い十人の女

共謀して男の殺害を企てる女たち 市川崑のサスペンス・ワールド

≪見ておきたい名画≫

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OK牧場の決闘

これぞアクション映画の決定版!!

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八十日間世界一周

史上最強のエンタティンメント作品

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哀愁

時代を越えて胸を打つメロドラマの最高傑作

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裕ちゃん アメリカへ逃避行

        撮影所時代 (その10) 
 
Photo  1960年(昭和35年)1月、裕ちゃんと北原三枝さんはアメリカへお忍びで渡航、頑としてスター同士の結婚を許可しようとしない堀社長に対するデモンストレーションだった。

 堀社長からの連日連夜の電話攻勢にも裕ちゃんは頑として応じず、徹底抗戦、遂に堀社長からの「ケッコンユルス スグカエレ」の電報を受け取り、それでやっと帰国の決意をしたと言う。

 2月に入って帰国、戦線に復帰した。愛する人とどんな障害があっても結ばれるまで戦い続ける裕次郎の姿勢に、密かに拍手を送っている人は多かったと思う。

 堀一族の専横に対して敢然と戦いを挑んだ裕ちゃんを、ほとんどのスタッフやキャストは、応援していたと言えよう。
 それから結婚式まで、プロデューサー室で水の江さんをはさんで仲良く話を交わしている裕ちゃんと三枝さんの姿をよく見かけたものだ。
                                                                                               Photo_2             

 そして同年12月2日、裕次郎と北原三枝は日活国際会館で華燭の典を挙げた。披露宴に招かれた客は巨人の長嶋茂雄、歌手の江利チエミ、プロレスラー力道山ら各界の著名人ばかり。報道陣もテレビや週刊誌など100社以上つめかけたそうである。

 勿論、日活の監督や俳優のほとんどが出席、その日の撮影所内は閑散として開店休業の有様だった。

 世紀の結婚式はこうして終わった。結婚を機に北原三枝は引退、裕次郎を支える側に徹したのだ。彼女の姿勢は立派だったと言えよう。三枝さんの現役最後の作品は裕次郎との共演作、「闘牛に賭ける男」であった。
 この年、日活は裕次郎、旭、赤木の3人に和田浩治を加えてダイヤモンド・ラインを結成、攻勢に打って出た。和田浩治は裕次郎に似ているということでスカウトされたのだが、第2の裕ちゃんには幼すぎてなり得なかった。ジュニア版”渡り鳥”作品が次々と企画されたが、主役を張り続けるには残念ながらいまいちの感があった。
≪見ておきたい邦画≫
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独立愚連隊
はみ出し者小隊の炸裂するガンファイト!!
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日本誕生
太古のドラマと神話が融合した一大スペクタクル巨編
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彼岸花
豪華な映像が、頑固な親娘喧嘩をはなばなしく温かく盛り上げる
≪見ておきたい名画≫
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死刑台のエレベーター
サスペンス映画の傑作 閉じ込められたエレベーターから脱出は?
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大いなる西部
力と力の対決 誇りはどこに??
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アパートの鍵貸します
マメで気のいい男が恋をした・・・軽妙な喜劇

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日活の光と影 裕ちゃんの骨折と赤木の死

         撮影所時代 (その11)

Photo 1961年(昭和36年)1月24日、裕次郎は志賀高原でスキー中、右足複雑骨折、4ヶ月の入院生活をおくることになった。日活に取ってはこの上ない打撃であった。スポーツマンの裕ちゃんのこと、単独で転倒したとは思えない。倒れていた女性にぶつかりそうになり、避けるために転倒したと聞いたような気もする。この方が心やさしい裕ちゃんらしい。

そしてそのショックも醒めやらぬ2月14日、今度は赤木がゴーカート試乗中に、ステージの鉄扉に衝突、約1週間死線を彷徨った末、21日に帰らぬ人となった。Photo_2

まるで悪魔に魅入られたかのような悲劇の連続に、撮影所中、声もなかった。赤木の悲報を知った人々はみんな泣いた。私も赤木のために一掬の涙を流した。女優さんが食堂で泣き咽んでいるのも目撃したし、中でも通路ですれ違った小百合ちゃんやいづみちゃんの目が赤くなっていたのも見た。

食堂前から鉄扉まで直線距離にして凡そ50メートル余りあっただろうか。Tの字の先に激突したのだ。昔の事だけに勿論ヘルメットも着用していない。運悪く鉄扉の前でアクセルとブレーキを踏み間違えたのであろう。

相次ぐ衝撃にダイヤモンド・ラインは再編成を余儀なくされた。この大ピンチを9月まで裕次郎作品抜きで乗り切らねばならない。スタッフ、キャスト全員悲壮な決意を胸に秘めていた。

Photo_3 会社はバイ・プレイヤーの宍戸錠、二谷英明の二人を主演級に昇格させ、旭、浩治の4人で第二次ダイヤモンド・ラインを構築した。起死回生の妙薬になったのは錠さんの"稼業シリーズ”だったように思う。

夏の頃、裕ちゃんが松葉杖を一本ついて、右足に包帯を巻いた痛々しい姿でプロデューサー室に来るのを見かけたことがある。私が丁度部屋を出たときだ。
「ターキーさん、いる?」
「いませんが。部屋で待っていて下さい。お探しして来ますから」
「頼むよ」
そう答えてにっこり笑いかけてくれた。その時の笑顔が今も目に浮かんでくるようだ。水の江さんを探して伝言し、部屋に戻って裕ちゃんに報告したのを覚えている。裕ちゃんはリハビリの様子を首脳陣に報告にきたようだった。

9ヶ月間、裕次郎作品なしで乗り切らなければならなかった日活は、第2次ダイヤモンドとともに吉永、浅丘で女性路線を敷いた。また高橋英樹をデビューさせ、アクション映画の仲間入りをさせた。

だが、懸命のてこ入れにも関わらず、興行成績は次第に下降線をたどりはじめたようだ。

≪見ておきたい邦画≫

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野菊の如き君なりき

木下恵介監督が斬新な演出で映画化した悲恋物語

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無法松の一生

小倉の空に響く松五郎の祇園太鼓の音・・・

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乳母車

詩情豊かな珠玉の名編 裕次郎名作の1本

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松原智恵子のデビュー作 「男にゃ男の夢がある」

         撮影所時代 (その12)
松原智恵子、彼女は1961年1月頃のデビューだったと思う。作品の公開が確か1月、裕ちゃんの骨折の前だったような気がする。それはともかく監督は井田探さん、音楽監督は河辺公一さんだった。河辺さんはジャズ畑の人だ。

主人公は長門裕之、その相手役に松原智恵子、他に森川信、南寿美子。SPモノのセールスマン物語である。

チーコの役は品物が売れず、気分もどん底の長門を優しく励まし元気を取り戻させるという役だ。
Eisya_2 彼女はアフレコで苦労したようだ。アフレコというのはアフターレコーディングの略で、ロケーションで絵を撮り、撮影後セリフをその絵に合わせて入れなおすことだ。初めてのことで慣れなかったのだろう。助監督がきっかけを送るのだが、どうしてもワンテンポずれるのだ。私は監督に用事があって、アフレコルームを覗いたところ、この場面にぶつかった次第。
「セリフが棒読みだ、感情がこもってない。もう一度!」
やっと口の動きが画面と合ったと思うと、監督の叱責が飛んでくる。感情を込めると遅れる、セリフを間違える、次第にパニックになった彼女はとうとう泣き出した。
「ダメだ、30分休憩!」
監督は外へ出ていった。日頃おとなしい監督も頭に来ているようだ。
助監督が懸命に彼女を慰めてやっている。そして再開、だが、今度は録音の橋本さんからダメが出た。泣いたために声質が変わっているというのだ。結局、この日は中止となったようだ。
その後、再度の挑戦は彼女の一発OKになったそうだ。中々根性があるなと私は思った。
無事にクランクアップして、音楽ダビングもことなく終了、残すはフィルムダビングだけになった日のことだ。

朝9時からのFDには私も参加していた。録音技師の橋本さんとチーフの紅谷さんが並んでいる横に坐って伝声マイクで2階の映写室に「映写部さん、ダビング1行きます、用意、スタート」と号令役をやっていたのだが・・・。

昼過ぎだったと思う。気がつくとチーコが私の横に坐っていた。
「どうしたの?」私が尋ねると彼女はこう答えた。
「ダビングって、どんなことをするのか知りたかったの」
「頑張って最後まで付き合うか?途中で逃げ出すか?」
紅谷さんが茶化すように言う。彼女は唇を尖らせて「私、最後まで頑張ります」と言ったものだ。

私は号令役をチーコちゃんにまかせた。彼女は元気のいい声で「用意、スタート」とやっている。気のせいか映写部さんのフィルムを架けるスピードが速くなったような気がした。

「私、一度、用意スタートって言いたかったの」と彼女は笑顔で云った。
「幾らでも云えばいいよ」と言って私も笑った。
Photo_2
夕食休みが過ぎ、ダビング再開となった。チーコちゃんはちゃんと元の場所に坐っている。さすがに私もビックリした。幾らデビュー作と言ってもダビングまで付き合う女優さんはまずいない。やってきても1時間も居ればいい方だ。紅谷さんも「無理しなくて、いつ帰ってもいいんだぜ」と言い出す始末。

だが、彼女は「お二階さん、テスト行きます」とやっている。号令の合間に何か一生懸命にノートに書いている。私が覗き込むと「ねえ、この方がいい?それともここをこうした方が良く見える?」と私に聞く。サインの練習をしているのだ。
                                           Photo
私は思いがけず松原智恵子のサインの練習につき合わされてダビングの終わったのは夜10時すぎだった。私は「お疲れさん」と彼女の労をねぎらった。
「お疲れ様でした。サイン、やっぱりアレにするわ」
と笑顔で俳優部の方へ去って行くチーコ。おとなしいけどガッツのある女優さんだった。
その後、松原智恵子は「一石二鳥」「機動捜査班 秘密会員章」「紅の銃帯」「大当たり百発百中」と立て続けに出演、スターへの階段を着実に上っていくのである。
≪見ておきたい名画≫
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ハムレット
生きるか 死ぬか それが問題だ シェイクスピア文学の不朽の名作
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イースター・パレード
アステアがジュデイを相手に華麗なステップを披露!
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ジェーン・エア
19世紀のイギリスを舞台に幸せを掴む少女の半生を描いた傑作

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豚の大群 大通りをトン走!! イマヘイさんの異色作 「豚と軍艦」秘話

          撮影所時代 (その13)

私がイマヘイさん(今村昌平)に会ったのは昭和36(1961)年頃だったと記憶している。アシプロの友田氏と今村組のキャメラ・テストの現場でお会いした。それまでは所内でお姿を遠望するのみであった。

Photo 数ある今村作品の中でも私の好きな作品と言えば、「豚と軍艦」だ。この映画は横須賀を舞台に、長門裕之演じるチンピラやくざの生き様を通して社会批判にまで昇華した初期の名作である。

友田氏に紹介された私にカメラテスト中のイマヘイさんは開口一番こう云ったものだ。

「まだ一人者だろう。いい子がいるぜ、紹介してやろうか」と。私は丁重にお断りしたのを覚えている。「その気になったらいつでも云うてきな」イマヘイさんは重ねてそう云ってくれた。私は外交辞令ではなく、暖かいものを感じた。

その時の用事が何であったか忘れてしまい、さっぱり記憶にないのに、そこで吉村実子を見たのは覚えているのだから不思議なものだ。吉村実子は芳村真理の妹で、確か本作でデビューしたと記憶している。姉の吉村真理さんも近くでテストを見守っていた。

私の大学時代の親友、Taniguchi君が製作部の助手で参加し、豚係りで活躍したのも懐かしい思い出だ。彼の話によると豚集めは大変だったようだ。近郊の豚屋を廻ってここで10頭、あっちで20頭という具合に豚を集めて来る。そして豚の戸籍簿?を作る。豚を顔で区別出来ないから豚の体に印をつけたそうだ。借りてきた豚を撮影が終わると元の持ち主に返さなければならないからだ。

100頭の豚集めは簡単ではない。借りてきた豚は臨時の豚小屋を作り、誰かが面倒を見なければならない。Tanigchi君がその責任者に選ばれた。豚を抱いて豚小屋で寝たこともあったらしい。日が経つに連れ、Taniguchi君の身体からは豚の香りが漂って来た。彼が傍に来ると思わず鼻をつまみかけた気がする。

「豚と軍艦」のクライマックスシーンは日活撮影所内のメインストリートで撮影された。本館Photo_2 と対面する食堂を挟んで横須賀のドブ板横丁のオープンセットが見事に再現され、歩くと横須賀の町を歩いているような錯覚に陥ったものだ。

撮影が始まった。豚を満載したダンプカーが行列を作って走って来て止まる。機関銃を手にした長門がやくざたち目掛けて発砲する。そしてダンプの荷台を片っ端から上げて行く。驚いたのは豚たちだ。いきなり荷台から転がり落ち、おまけに後から落ちてきたヤツがその上に乗っかる。下敷きになった豚は骨折して立てなくなったり、小さい豚は重みで圧死、いやトン死したりした。ダンプから落ちる豚のシーンはなんとも壮観だった。

圧巻は豚のトン走シーン。シナリオでは簡単だが、撮影は簡単には済まなかったようだ。肝心の豚が一向に走ってくれない。イマヘイさんとカメラの姫田さんは大クレーンの上から盛んに怒鳴る。「そこの豚が少ない!」とか「絵にならない!」「もっと豚を走らせろ!」・・・と。その度に豚の黒子役の浦山さんはじめ助監督は四つん這いになって豚の間を走りまわる羽目になる。

Buu 主役のチンピラは警官隊に撃たれ、豚に追われ、遂には便器に顔を埋めろように死んでいく。実に無残な最期である。ラストシーン、吉村実子が顔を上げて歩いていく場面が印象的だった。

この作品、制作費が相当にオーバーしたそうだ。豚の借り賃、死んだり怪我をした豚の買取代金や慰謝料など脚が出た。買い取らざるを得なかった豚は解体されてスタッフの胃袋に収まったと聞いた。

そう云えば他の作品の時より、浦山チーフ助監督の製作部長の隣に坐る時間が長かったように思う。この浦さん、フィルムが少なくなると、フィルム代交渉のために製作部長の隣のソファに腰を下ろし、部長がウンと言うまで一歩も動かなかったという。

作品の出来は良かったが、製作費のオーバーで、今村さんは2年ほど干されたようである。その間は三島の山奥に隠遁生活をし、晴耕雨読の日々を送ったそうだ。さすが天下のイマヘイらしいと思う。

≪見ておきたい邦画≫

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素晴らしき日曜日

愛さえあれば夢もお腹もふくらむ??? 鬼才黒澤明の名作

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本日休診

休みに限って多忙な訪問者 渋谷実監督の傑作

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雪国

愛のせつなさがシンシンと降る雪に溶けていく・・・ 巨匠豊田四郎の名作

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映画監督の”飲み助筆頭”は誰???

            撮影所時代 (その14)

撮影所というところは一風変わった人間が生息する場所のようだ。私の知る限り何と云ってもその筆頭は浦山桐郎氏だ。異端児であり、天才でもあった。

彼は浦さん、浦公で通っていたが、助監督としても最優秀の折り紙を師匠の今村昌平氏からつけられていた。今村さんがチーフ助監督の時はセカンドで川島雄三監督につき、今村さんが監督に昇進してからは今村組のチーフとして活躍した。

「にあんちゃん」の撮影時のエピソードにこんなのがある。九州ロケのとき、湾を見下ろす大俯瞰のショットを撮るときのこと、画面に砂利運搬船が写りこみ、どうしてもどこうとしない。さすがの今村さんも困り果てた。カメラの姫田さんも「浦公、何とかしてこい」と喚く。製作部サイドが何度も交渉に行ったが、一向に動いてくれないのだ。

浦さんが掛け合いにはしった。待つこと30分、なんと砂利船が動き出したではないか。姫田さんはチャンス到来とばかりに撮影を完了させた。浦さんがどんな奥の手を使ったのか誰にももらさなかったが、この一事で助監督としての評価は最高にあがったという。

浦さんが日活に入ったのは偶然からである。助監督試験で合格したのは松竹だった。次点で落ちたのがなんと、山田洋次氏だったそうだ。それが運命のいたずらで、身体検査で肺に影があるという理由で浦さんは松竹を落とされ、代わりに山田洋次氏が合格した。後に大ヒットシリーズ「寅さん」を撮った山田洋次監督である。浦さんは製作再開したばかりの日活に入社した。

浦さんは普段傍で見る限りまともな助監督だった。ところが酒が入ると人間が変わった。猫が変じて虎になるどころか、まともではなくなるのだ。小男の部類に属する浦さんだが、見境なく相手に突っかかっていく。とことん絡みぬく、そして喧嘩になる。やくざと殴り合いボコボコにされることも度々だったらしい。撮影所の人間は大抵浦さんと飲むのは遠慮したそうだ。

Photo そしていまひとつユニークな奇行がある。別名「泣きの浦」とも呼ばれていた。イマヘイさんと飲みにいき、酒が入る。頃合いを見てイマヘイさんが「ウラ公、泣いてみろ」という。すると即座にウラさんは泣き出す。それもヨヨと泣き咽ぶのだ。本当に涙を流して男泣きするのである。そしてイマヘイさんが「やめろ」と言うやケロッと泣き止むのだから大概の人は驚く。

世に奇行の持ち主は多いと言えど、こんな芸当が出来たのは浦さんだけだろう。酒が入ると泣き出す人は多いらしいが、泣き節をどのようにでもコントロールできたのは浦さん位だろう。ともかく浦さんは何から何までケタ外れの人だったようだ。

浦山さんや今村さんを見ていると監督業はとても気楽な稼業とは思えない。というよりも現場監督に近いと思う。現場で怒鳴りまくり、役者に演技をつけ、予定をこなさないといけない。重労働にどうしてもなってしまう。体力勝負にならざるを得ない。だから酒を飲まずにはいられないのだろう。    Photo_2

助監督時代の浦さんは、よく製作部長の隣に座り込んでいた。最初は今村組の撮影中なのにチーフがよくまぁ油を売ってると私は思ったものだが、実はフィルムをもっとよこせと言う交渉だった。それも要求貫徹まで座り込むのである。

製作部長も相当音を上げていたようだ。机の隣のソファに坐られたままでは仕事にならず、席を外して時間を置いて戻ってみても、浦さんは坐ったままだ。一度浦さんが怪談のお岩のような顔で坐っているのをみたことがある。前夜の絡み酒の名残だったが、コレは相当に不気味だった。その蛇のような目で見られると部長もぞっとしたと思う。

製作部に浦さんが坐っているとフィルムが足らないんだなと、皆が思うようになった。だがコレは実は浦さんの発想ではない。師匠の今村さんの編み出した作戦なのだ。今村さんが川島組のチーフのときから始まったそうだ。でっぷり太ったイマヘイさんならさぞ押しが強かっただろうと思うが、やせで小男の浦さんはその蛇のような目で部長と勝負したようだ。

もうすぐ盆がくる、お二人とも今は天国の住人だが、さぞかし賑やかに芸術論争をしていることだろうと思う。

≪見ておきたい名画≫

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三つ数えろ

ハードボイルド映画の決定版!!

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夜ごとの美女

毎晩夢の中に絶世の美女が訪れる そんな夢なら毎晩見たい!?

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逢う時はつも他人

刹那的な恋に身を焦がす大人の恋物語

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旭と小百合 日活唯一の共演作 「黒い傷あとのブルース」

              撮影所時代 (その15) 

1961年(昭和36年)公開の「黒い傷あとのブルース」は記憶に残る作品だ。旭が吉永小百合と共演した唯一の日活作品だからか、ラッシュを何回も見たからだろうか。アキラのダビングであの独特な歌声を聴いたからだろうか。小百合ちゃんは当時、売出し中でヒロインとしては、まだ未成熟だった。だが、そんな幼さが印象に残る忘れられない映画だ。                                  Photo

この作品は極めて極上の推理サスペンスに仕上がっている。野村孝監督の作品としては上の部だと私は思う。出足からよく出来ていたと記憶している。それと何といってもアキラの歌が良かった。

音楽監督は大森盛太郎さんだ。音楽監督の長老格の方である。まだ若い私の青臭い映画批評の話をよく聞いていただいたことを覚えている。大森先生とは10本以上お付き合いさせていただいた。                            

ラストシーンが、今も眼前に甦る。渡(小林旭)に寄せる洋子(吉永小百合)のせつない慕情・・・父を亡くした洋子は一人ぼっちになった。渡への恋心だけが生きる糧。洋子は、喫茶店で渡を待った。が、遠くから彼女の姿をじっと見ただけで、渡の白いトレンチ・コートは霧の中に消えていくのだ。撮影のとき、私は小百合ちゃんの目に本物の涙が浮かぶのを見たように思う。

≪見ておきたい邦画≫

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秋刀魚の味

”しあわせ”とは何だろう???

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蜘蛛巣城

”マクベス”を日本の戦国時代に翻案した名作

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あいつと私

裕ちゃんの青春ドラマ

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代棒振りのマジッシャン!!

        撮影所時代 (その16)

代棒振りと言っても???と分からない人がほとんどだろうと思う。日活撮影所で働いていた頃のことだ。スタジオ・ミュージッシャンを指揮するのは作曲家の仕事だが、作曲家の代わりに指揮だけを専門にしている人がいた。

元、作曲家で代棒専門の人、名前は吉沢博と言った。音楽ダビングの時には必ずと云っていいほどこの人を見かけたものである。吉沢さんを頼まなかったのは、元俳優で監督の小杉勇氏のご子息、小杉太一郎さんぐらいだろうか。           

吉沢さんが指揮をすると、ダビングにかかる時間が少なくとも30分は短くなっただろう。それは見事なものだった。音楽ダビングの現場では幾ら検尺をしていてもフィルムの編集で時間が変わるのが普通である。秒単位で長くなったり、その場でカットされて短くなることもまれではない。

Humen_3

そうなるとその都度、吉沢さんと音楽監督がスコア(譜面)を挟んで打ち合わせだ。そしてラッシュを見ながらテスト、テスト一回、本番テスト一回、お次は本番だ。それも一発OKである。

3分以上の長いシーンでも、きっちり長さを合わせてくれる。それはもう見事を通り越した妙技の世界であり、マジックと言う他なかった。この人のお陰で音楽監督はどれだけ助かったか分からない。何せ録音技師だけでなく、監督が舌を巻いたことも度々だった。楽士さんたちも仕事が早く終わるので喜んだ。

吉沢さんが指揮をして音楽ダビングに時間がかかったという記憶は全くない。文字通りマジッシャンだったと思う。だが、吉沢さんとて身はひとつ、音楽監督に頼まれても他社のMDBでほかの作曲家に既に拘束されていることもある。そうなると音楽監督が指揮を取らざるを得なくなる。

吉沢さんがいれば、音楽監督は金魚鉢の監督の傍にいて、監督の意向を聞いてすぐに直しを吉沢さんと打ち合わせすればいいのだ。いないとそれが出来ない。テストの度に監督が金魚鉢から出てきて音楽監督と打ち合わせをしなければならなくなる。それだけ余分に時間がかかり、時間が遅くなるのだ。

今日は懐かしい思い出の一景を書いてみた。恩恵を蒙った作曲家の中にはヒゲの山本直純、佐藤勝、黛敏郎といった錚々たる先生方もいたのである。

≪見ておきたい名画≫

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赤い河

西部劇の傑作 ウェイン・モンティの対決は?

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狼たちの午後

彼らは何故 白昼銀行を襲ったのか?

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ナイアガラ

夫に殺される!! モンロー屈指のサスペンス映画

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ニューフェイス ”歌の出前”致します!!

           撮影所時代 (その17)

どこの撮影所でもそうだろうが、新人たちは舞台挨拶やら歌のお披露目によく出さされる。マコちゃんとケン坊もそうだった。

和泉雅子(マコちゃん)は山内 賢(久保 明の弟)とのコンビの作品が多かったが、その後は高橋英樹と任侠路線「男の紋章」に出演、安定した演技を見せた。

Photo マコちゃんがケン坊(山内 賢)とコンビを組んでいた頃、私は二人のお供で横須賀まで出かけたことがある。横須賀ライオンズクラブの催しで、二人が歌を披露するアトラクションにでることになった。ピアニストが必要というので私が手配し、現地に直接来て貰ったのだ。

俳優部の広瀬 優さんが司会役で同行。ケン坊はドラム演奏も披露するので楽器を積んだ車で別行動。マコ、広瀬さん、私の3人で車に乗り込み横須賀まで往復のドライブとなったのである。

マコちゃんはもっぱら広瀬さんと話す程度で、自分からいろいろ話かける方ではなかったと記憶している。

私の仕事はアトラクション会場の設営、ピアニストへのギャラの支払いなどで、1時間程度で終了したと思う。さすがに広瀬さんの司会は上手いものだった。ケン坊のドラムソロは大したもので、拍手喝さいだ。マコちゃんの歌の方はまづまづと言った所だった。

彼女が演技開眼したのは浦山桐郎監督の「非行少女」だろう。つとに有名な浦さんのきつ~いしごきに耐え抜いた彼女は立派だった。

後に冒険家として名をはせた彼女の素質はこの時の浦山監督の薫陶の賜物だと私は信じたい。

女性で始めて北極点踏破の大偉業を成し遂げた彼女に大拍手を贈りたい。

太田雅子というおとなしい女優さんがいた。当初は太田博之とのコンビで使われていた。あまりパッとしない女の子という印象が強かった。彼女とも小田原の劇場まで車で出かけた記憶がある。太田雅子という名前に覚えがない方でも、梶芽衣子といえばご存知だろう。

まだ新人で舞台挨拶と歌を数曲披露するイベントだった。この時のプレイヤーがピアニスPhoto_2 トだったかヴァイオリニストだったか、覚えていない。俳優部の広瀬優さんがこのときも一緒だった。雅子ちゃんの歌の出来の方はどうだったか、まずまずだったと思う。

小田原までは結構遠かった。車では助手席に広瀬さんが乗り、私は後部座席に雅子ちゃんと乗った。往復の道中、雅子ちゃんとはポツリポツリと五月雨のように話をしたものだ。話の内容など全く覚えて居ない、雅子ちゃんには気の毒だが・・・。

帰り道、雅子ちゃんは神奈川の尻手あたりで、友達のところへ寄ると言って下車したのは未だに覚えているのだから妙なものだ。

彼女が後に梶芽衣子と改名し、スターになろうとはその時は思いもしなかった。青春映画で小百合ちゃんの脇役に過ぎなかった彼女だが、藤田敏八、長谷部安春などの名伯楽により、華麗な蝶に変身を遂げたのだ。

≪見ておきたい邦画≫

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赤線地帯

京マチ子、若尾文子、木暮実千代らの人気女優が競演 !!

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黒い雨

今村昌平が原爆症に挑んだ佳作

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釣りバカ日誌 前18巻セット

ハマちゃん&スーさん大漁キャンペーン!! 笑えること請け合い

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製作進行で初めて付いた「当りや大将」

           撮影所時代 (その18)

一度撮影に参加してみたいと思っていた私の夢は意外に早く叶った。1962年のことである。付いた作品は中平組の「当りや大将」だ。仕事は製作進行である。予定していた進行役のA君が参加できなくなり、素人に近い私にお鉢が回ってきたようだ。

Photo_3 スタッフは監督 中平康、撮影 姫田真佐久 照明 岩木保夫 美術 大鶴泰弘 録音 片桐登司美 編集 丹治睦夫 音楽 黛敏郎 出演者は主役の大将に長門裕之、おばはんに轟夕起子、おばはんの息子のチビ勝に頭師佳孝、どぶのキリストと呼ばれる山内刑事に浜村純、ベンテンのお初が中原早苗である。

ストーリーはこうだ。100円あれば一日食っていけるという大阪釜ガ崎。古物商やバラックホテルなどが軒を連ねるドヤ街。ホルモン鍋や残飯屋の臭いが充満している。この町の名物男”大将”は車に当っても怪我ひとつしない特技を持ち、それで食っている。

絶妙の当りで金をせしめた夜は、おばはんのホルモン屋で子分たちを集めて盛大な酒盛りをする。どぶのキリストと呼ばれる山内刑事らが取り締まりに乗り出しているのだが、掴みどころがない住人たちに手を焼いている。

ある日、ベンテンのお初という威勢のいい女に惚れ込んだ大将、お初の口車に乗せられ、用意した金をむしり取られる始末。手を出したバクチにも負けた大将、ホルモン焼きのおばはんが溜め込んでいる18万円に目をつけた。

おばはんは大将のうまい話に乗り、息子のチビ勝を大学にやるため溜めていた金を大将に預けてしまう。金を握った大将、早速お初と豪遊、スッテンテンになる。ケロッとしている大将を眺め、おばはんは焼酎を呷り続け、その夜タクシーにはねられて死んでしまう。

残されたチビ勝を見て、大将は初めて良心の痛みを感じた。数日後、大将は空地にブランコを作り始めた。だが、そのブランコはバクチの邪魔になると、潰されてしまうのだ。大将が作るとまた潰されてしまう。

困り果てて町を歩いていた大将の目がギラッと光った。前方から走行してくる高級車、その車の前に大将の身体が飛んだ。

翌日、雨の降る中を大将を乗せた霊柩車が出て行く。見送りに来ていた山内刑事が呟いた。「大将の死を無駄には出来ないな」と.

 Satuei中平組一行は浪速区日本橋の電気街の一角にある旅館に泊まりこんだ。そして、早速活動開始だ。製作進行の仕事は忙しい。早朝6時には起床し活動に備えなければならない。その日の予定表を睨んで、手落ちの無いように準備する。西成署へ道路使用許可証を貰いに何度通ったか分からない。

また、撮影開始の前に釜ガ崎の組長さんたちに挨拶しておかないとえらいことになる。ところがこの地域には大小100以上の組が溢れているのだ。製作主任、アシプロの友田氏、それに私の3人がかりで分担、主な組関係を1升瓶を下げて挨拶して回った。

最初はこわごわだったが、何箇所か回るうちに恐さは忘れていた。それでもある組では、「話を聞こうじゃねえか」と目の前に短刀を置かれたのには少々ビビった。その一方、警察へロケの協力をお願いすることも忘れなかった。

こうした目に見えない努力があって、ロケは開始された。釜ガ崎の中とあって、あらゆる種類の人間が蠢いている。それも暇な人間が多い。撮影が始まるや、忽ち黒山の人だかりとなった。見物人の整理は手の空いたスタッフ・キャスト総出である。それでも中々素直に言うことを聞いてくれない。そんななかで組から派遣された組員さんたちのドスの利いた声はさすがに迫力があった。

制服姿のおまわりさんもチラホラ見えた。警察官と組員さんの護衛でロケをするというのはめったにないことだろうと思う。長門裕之と中原早苗サインに快く応じていた。シャツの前後にサインをしてもらい、得意そうに歩いている住人たちもいた。

山場の大将が車に撥ねられるシーンは、天満の方の比較的交通量の少ない道路で行われた。ロングショットの大俯瞰撮影だ。長門が空中に跳ね上げられるところは人形を使ったようである。

そして、最後の雨の中、葬儀車が行く場面は美術部さんが放水して設営した。かくして大阪釜ガ崎ロケは終了したのである。なにせ50年以上前のこと、細かいことは忘れてしまったのでご容赦願いたい。

中平組完成写真 右から二人目が私

中央付近 ベレー帽が中平監督

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後年 カラオケデュェットの定番となった「銀座の恋の物語」

           撮影所時代 (その19)

 心の底までしびれるような・・・とくれば、アッ銀恋とすぐにお分かりだろう。裕ちゃんの「銀座の恋の物語」が公開されたのは1962年(昭和37年)のことだ。この作品、映画もヒットしたが、歌の方でも人気曲になった。いまでもカラオケで歌われない日は無いほどだろう。

Ginkoi この映画の監督は蔵原惟繕、脚本はコンビの山田信夫、それに熊井啓さんが脚本で1枚加わっている。企画はターキーさんこと水の江滝子、撮影 間宮義雄 照明 藤林甲 美術 松山崇 録音 福島信雅 編集 鈴木晄 音楽 鏑木創というベストスタッフだ。

キャストは裕次郎・ルリ子のコンビにジェリー・藤尾と江利チエミという豪華版である。記憶喪失をテーマにしたアメリカ映画「心の旅路」の女性版という歌謡メロドラマで、銀座の街を舞台に、貧乏画家の青年が貧しさにめげず、明るく強く逞しく生きてゆくさまを描いた作品だと云えよう。

ジェリー・藤尾、江利チエミの出演は何とも懐かしい。プロデューサーの水の江ターキーさんが、ある日、映画の中で使うパブリシティ広告の商品を持ち込んで来た。その頃人気の出ていたニッシンのインスタント・ラーメンだ。昭和37年当時のラーメンが今あるはずもないのだが、箱入りのラーメンが製作部の部屋に5箱ほど積んであった。スタッフに配っていた水の江さんが、そばを通りかかった私を見ると「ひとつ食べてみる?」と私に投げてくれた。ニッシンのチキンラーメンである。食堂でお湯を貰い、早速食べたのだが、その味は・・・。

1962年は私にとって予期せぬ出来事が起きている。母の末の弟である久保添晴意(はるおき)さんが、飛行機事故で死亡したのである。井の頭線の東大前に当時駅を下りたところに食堂があった。そこに入ってテレビを見ながら夕食を食っていた。丁度、7時のニュースをやっていた。

日東航空デハビランド・アッターが、淡路島南岸の山腹に激突し大破炎上。乗客9人全員死亡した。その死亡者名を見た私は愕然とした。その中に晴意さんの名前を見つけたからだ。5月1日のことであった。                       Photo

晴意さんとは「当りや大将」の大阪ロケで暇を見て難波で会ったばかりだ。千日前のバーで飲みながら皮の問屋に勤めている話などを聞かされて間もない。人間の運命はわからない。その日その日を後悔しないように精一杯生きていこうと感じたものだ。

そしてその足で大阪に直行、葬式に出た。久保添の兄弟は全員参加していた。結婚して間もない奥さんの寿女さんに抱かれていた赤ちゃん(晋明君)のあどけない笑顔がみんなの涙を誘ったものだ。聞けば晴意さんは出張の途中だったそうである。

≪見ておきたい名画≫

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喝采

アル中からいかにして脱出するか・・・

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知りすぎていた男

ヒッチコックが放つサスペンス巨編 豪華キャストで展開する大ヒット・サスペンス!!

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黄金の七人

”教授”の仕組んだ黄金奪取作戦は見事に成功するが・・・

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山本丈晴さんとの出会い「銀座の次郎長」(1)

            撮影所時代 (その20)

私が山本丈晴さんと出会ったのは1963年(昭和38年)のことである。「銀座の次郎長」のクランクインにあたり、監督の井田さんが丈晴さんに音楽監督を頼みたいと言い出したのがキッカケだ。

早速、製作部のImado先輩が意向を打診しOKの返事を頂いた。丈晴さんは歌謡曲の作曲家ではあると言うものの映画音楽は初めてであり、その未知数が楽しみな人であった。井田さんには話題性というキーワードがあったのかもしれない。

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丈晴夫人は女優として名高い山本富士子さんである。芸能界のおしどり夫婦としても高名な方であろう。

それはさておき、井田組がクランクインして間もなく私は丈晴さんの家に招ばれた。色々打ち合わせをしたいという意向であった。

私は緊張して初めて山本邸を訪れた。ベルを押して名前を名乗るとお手伝いさんが戸を開けてくれた。玄関までは約30m、道の横手に満々と水を湛えたプールがあった。

玄関に入るとそこはホールで丈晴さんが迎えて下さった。一隅にピアノが置いてあり、お弟子さんのレッスン場でもあるらしい。

私は2階の丈晴さんの書斎に通された。挨拶もそこそこに話を始めたとき、隣室から声がした。
「丈(たけ)」と、お富士さんの声だ。
「なんだい、富士子」と丈晴さんは気軽に立って隣室に入っていく。

程なく戻ってきて語らいは続いた。映画音楽のこと、井田さんのこと、丈晴さんに聞かれるまま、私は答えた。そこえお富士さんが入ってきた。富士子さんは家庭着のワンピース姿である。
「よろしくお願いしますね。この人、映画は初めてだから・・・」
「精一杯お手伝いさせて戴きます」と私は神妙に答えた。間近で見た富士子さんは流石に綺麗だった。

それからスタジオミュージッシャン編成のこと等、話をして山本邸を辞去した。帰路、かって大映撮影所を見学した時のことを私は思い出していた。ステージ前で出番待ちしていた芸者姿の山本富士子さんを見て感激した日のことを・・・、あれは大学生の頃で、映画は「薔薇の講道館」だったと。

音楽ラッシュは他の作曲家の時より多めに取った。丈晴さん自身がそれを望んだこともある。

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こうして音楽打ち合わせも無事に完了、オールラッシュの日を迎えた。私はこと細かに検尺、いつもなら電話で音楽監督に時間を報告するだけなのに、山本邸まで出向いたものである。

最初の音楽監督を何としても成功させて上げたい、そう思って本当に精一杯の努力をしたものだ。こうして音楽ダビングの日を迎えた。勿論、代棒のマジッシャン吉沢さんも頼んでおいた。楽士さんたちも時間給が高くてもいい音を出せる人を重点的に頼んだつもりだ。こうして音楽ダビングが始まった。

井田監督からは特に注文もなくダビングは順調に進んだ。丈晴さんも集めたプレイヤーに満足してくれたようだ。こうして無事音楽ダビングは終了した。

≪見ておきたい邦画≫

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にっぽん昆虫記

今村昌平監督 昭和38年度ベストワン作品

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天国と地獄

誘拐犯との息詰まる頭脳戦は???

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しとやかな獣

鬼才川島雄三が画面いっぱいに放つフェロモン!!

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丈晴さんは人間味豊かで気さくな人「銀座の次郎長」(2)

           撮影所時代 (その21)

音楽ダビングの翌日、FD(フィルムダビング)が行われた。例によって私は朝から録音部さんと並んで「映写部さん、テストいきます。ヨーイ、スタート」と号令かけをやっていた。

午後2時ごろだっただろうか、丈晴さんがあでやかな富士子さんを伴って、ダビングルームに顔を出した。スタッフを慰労するためのお菓子持参である。丈晴さんは富士子さんを監督の井田さん、録音の大田さん、その他のスタッフに紹介する。

そして、約30分ダビングに付き合い、ご夫妻は日活撮影所を後にされた。丈晴さんの運転で助手席に富士子さんが乗っている。玄関まで見送りに出た私に丈晴さんが「頼むね」と声をかけてくれた。お富士さんも軽く会釈してくれる。私は丁寧に頭を下げて見送った。

フィルムダビングは確か夜10時ごろに終了、初号試写の評判も良かった。桂小金治師匠、若水ヤエ子、由利徹などお笑い陣に五月みどりという布陣だ。女優陣も笹森礼子、小園容子、若手の進千賀子と揃い、お笑いアクション映画としては良く出来ていたと思う。

丈晴さんは初号試写にも見え、撮影完了の記念写真にも参加してくれた。下の写真がそうである。

前列左から5人目、丈晴氏 小園さんの左後ろが私

Photo_2

「銀座の次郎長」は早速続編「銀座の次郎長・天下の一大事」が企画され、井田監督が引き続きメガフォンを取ることになった。音楽監督が丈晴さんになったのは云うまでもない。

そして、初号試写から4、5日経った日のこと、私は山本邸に呼ばれた。夕方来てくれと云われていたので、5時ごろにお邪魔したと思う。

お茶をご馳走になりながら、次回作のことなどを話し、6時ごろ辞去しようとしたところ、丈晴さんが夕食を用意しているから、食べていってくれと云う。

「今夜はごゆっくりなさって下さいね。何にもないけど召し上がって行って」と富士子さんもそういってくれるのだ。私はお断りしたが、是非にと言われ、ご好意に甘えることにした。

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いのち燃やして

階下の座敷に私は招き入れられた。すき焼きの支度がなされ、ビールの用意もされている。

「おひとつどうぞ」と、お富士さんが私にビールを勧めてくれる。私は思わず緊張して注いでいただいた。丈晴さんもにこやかに笑顔で眺めている。

「今回は随分世話になったね、今夜はそのお礼だよ。だからゆっくりしていってくれ給え」丈晴さんが言う。「本当に精一杯勤めていただいて、私からもお礼申し上げますわ」とお富士さん。私は嬉しかった。歓待していただけるなど、夢にも思っていなからである。

「さ、どんどん召し上がって」と、富士子さんが小皿に肉をとって下さる。私はおいしく頂戴した。あまり飲めない私だがビールを勧められるままにいただいた。まさに夢を見ているような気分というべきだろうか、桃源郷にでもいるようでほんとに最高の夜だった。

私のような者までこうしてもてなして下さるご夫妻の心がとても嬉しかった。私の仕事ぶりを評価していただけたのだろうと思いたい。夜10時前に私は山本邸を辞去した。口笛を吹きながら私は家路を辿っていた。

≪見ておきたい名画≫

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アラビアのロレンス

”砂漠の英雄”を描いた壮大な映像叙事詩の傑作

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クレオパトラ

古代エジプト最後の女王クレオパトラの愛と悲劇

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おとなしく可愛らしい鳥が人間を襲う!!

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吉永小百合のブルーリボン受賞作 「キューポラのある街」

             撮影所時代 (その22)

サユリちゃんの愛称で親しまれていた吉永小百合が、一躍演技派として認められたのは浦山桐郎監督昇進第1作「キューポラのある街」であろう。師匠の今村昌平がはなむけに脚本を手伝い、浦さんの作品に賭ける意気込みは凄いものがあった。

Photo_2 浦さんの小百合ちゃんに対するしごきたるや恐ろしいくらいだったという。そのしごきはスタッフの目にも狂的に見えたらしい。悪口雑言以上の罵倒の連続だ。しかし、小百合ちゃんは耐えに耐えた。おそらく密かに泣いたこともあっただろう。

そして、その結果が第13回ブルーリボン作品賞、主演女優賞の受賞に繋がったのだから、浦さんの手腕は大したものだったと言えようか。 小百合さんが今なお第一級の女優として頑張っていらっしゃるのは、ご自身の努力はいうまでもないが、浦さんのような演出家に出会ったことも大きな要因であろうと思う。

「キューポラのある街」に続く「青春の門」「夢千代日記」と浦山監督と組んだ作品は興行的にもヒット、吉永小百合は演技者としても更なる飛躍を遂げたのである。

続く浜田、橋との「いつでも夢を」の大ヒット、更に「愛と死をみつめて」の爆発的ヒットで女優陣のトップにランクされるようになり、人気女優の地位を不動のものにした。

一方、日活の大御所たる石原裕次郎は63年に日活から独立、(株)石原プロモーションを旗揚げ、社長に裕次郎、専務には小林正彦(コマサ)が就任したのである。記念碑的第1作は市川監督の「太平洋ひとりぼっち」だった。

また、もう一人の日活アクションの旗頭小林旭は62年に美空ひばりと結婚、大きな話題をまいたが、ひばりの母と合わず、僅か2年で結婚生活は破綻、64年には”理解離婚”なる流行語を残して離婚した。いつだったか美空ひばりを撮影所内で見かけたことがあった。ひばりの実像を初めて見たのだが、意外に小柄なのに驚いた記憶がある。

67年に旭さんは女優の青山京子と結婚したが、これは大成功だったと私は思う。青山京子さんは家庭的な女性(と思う)で、旭にとってはベストハーフと言える人だろう。それが証拠に結婚後、今に至るまで何一つ浮いた噂など出てきていないのが証左だ。

Photo いつ頃のことだったか記憶に残ってないが、旭さんの運転する大型のサンダーバードに一回だけ乗せて貰った記憶が、アタマの片隅にこびりついている。

旭氏がアローエンタープライズという名前のプロダクションを作った頃のことと言うことは覚えているが、その前だったか後だったかまでは覚えていない。

それはともかく、ある日のことだった。プロデューサーの友田氏、企画部の陶山ちゃんと私の3人が、調布の撮影所から旭さんのサンダーバードに乗って赤坂の旭さんのマンションに行ったことがある。

友田氏が助手席、陶山ちゃんと私は後部シートであった。車は滑るように走った。サングラスをかけた運転席の旭さんが、車を手に入れた由来やら性能を我々に話してくれたようにうっすら覚えがある。

マンションに着くとプロダクション旗上げ企画の話であった。勿論、企画内容は海外ロケで相手役は浅丘ルリちゃん、その内容をもう少し固めようということだった。

その日はそれだけで旭さんがコーヒーを入れてくれたのを覚えている。部屋には事務員さん一人いなかったので、まだオープン前だったのだろうか。

残念だが、お話は具体化せず、話だけに終わったか、プロット(あらすじ)を企画会議に出してポシャったかは今となっては謎だ。

≪見ておきたい邦画≫

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キューポラのある街

奇才・浦山桐郎監督のデビュー作で、吉永小百合がブルーリボン賞主演女優賞に輝く

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私は二歳

見習うべき育児法は???

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血槍富士

槍持ちの権八が、主人の仇を討つまでを描いた時代劇の傑作

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浅丘ルリ子の話題作「執炎」と小百合の「こんにちは赤ちゃん」

               撮影所時代 (その23)

浅丘ルリ子の「執炎」は記憶に残る映画である。1964年、蔵原惟繕監督、音楽は黛さんだった。悲恋物で相手役は裕ちゃんではなく、伊丹十三だ。

Photo お話はこうだ。日本海の波が打ち寄せる山陰の浜辺で、一人の女が命を断つ。種々乱れ飛んだ噂も、今では人々がその青春を讃えるようになっていた。

水産学校を出た拓治(伊丹十三)は山で見たきよの(浅丘ルリ子)に神秘的な美しさを感じた。きよのは、山奥の一角にある平家部落の娘だったが、二人の愛情は古い因習を破って結ばれる。二人は幸せに暮らしていたが、戦争が二人の仲を引き裂いた。

戦傷で戻ってきた拓治だったが、きよのの全身全霊をこめた手当ての甲斐あって奇跡的に回復、漁に出られるようになった。二人に笑いが戻った。だが戦争は益々苛烈になり、きよのの友達だある泰子(芦川いづみ)の夫も戦死、拓治も再び戦場へ出向く。

その出征の前夜、愛蔵の能面をつけて舞うきよのの姿は、きよのの執念の叫びであった。まさに執炎の姿である。やがて、拓治の戦死の通知が届いた。

きよのは自分の髪を切り、仏壇に供え、そして・・・・・。

この作品でルリちゃんは実に素晴らしい演技を見せてくれた。心に響くとでもいうべきだろうか。

もう一本は小百合ちゃんの「こんにちは赤ちゃん」だ。これは梓みちよのヒット曲をそのまま題名にした東宝映画との競作である。監督は井田探、音楽は久しぶりの三保敬太郎さんだった。歌だけ頂いたヒット曲便乗作品とも言えるだろう。

船員の赤ちゃんを取り巻く人間模様を桂小金治、藤村有弘、久里千春、若水ヤエ子、E・H・エリックなどのお笑い陣で構成した映画である。Photo_3

主役の”赤ちゃん”だが、相当数の赤ちゃん候補から選ばれただけあって中々の大物、小百合ちゃんや雅子ちゃん、いづみちゃんが変わりばんこに撮影中は世話をやいていた。

しかし、泣き出したらもう大変、セットやロケに付きっ切りの本物のお母さんの出番となる。赤ちゃん一人にかかる手間の大変さを思い知らされた撮影だったと言ってもいいだろう。人間を育てる大切さはこんな小さい時から始まっているのである。

三保敬さんの音楽ダビングだが、今回はいつものウエストライナーズのメンバーでなかったような気がする。スタジオミュージッシャンだったのかもしれない。

それにしても梓みちよの出ない「こんんちは赤ちゃん」は、看板に偽りというものではなかったかと思う。

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芦川いづみちゃんが車の窓を開けて・・・

             撮影所時代 (その24)

この日の出来事は、忘れられない貴重な思い出として、私の脳裏に刻みこまれている。

その日、お昼前のこと、私は京王線の布田駅に降り立った。駅から日活撮影所までは約2キロあり、徒歩で行くと20分はかかる。歩き出して5分も経ってなかったと思う。その日は他に誰も歩いてなく、私一人だった。

J0401481_2 不意に私の横に鮮やかな色の外車が停まった。左ハンドルの外車、カルマン・ギア?の運転席から芦川いづみちゃんの顔が覗いている。いづみちゃんは私に向かって微笑みながら言葉をかけてくれた。

「お乗りになりません?」
私は流石に驚いた。既に顔なじみとは言え、大スターのいづみちゃんが、まさか声をかけてくれようとは思いもしなかった。私はドギマギして言った。
「いいんですか?」
「どうぞ」
と言う声に、私は反対側の助手席にまわり、いづみちゃんの横に坐った。

日活撮影所の中で私が最も親しみを感じている女優さんといえば芦川いづみさんだ。それも井田組、蔵原組と2本続いたばかり。セットの出入り口で良くお会いしたのが昨日のようである。その”憧れの君”がなんと私の隣に座っているのだ。信じられない思いだった。

車は発進した、快適な乗り心地だ。
「今日は何ですか?」
と私は尋ねた。
「××組の衣装合わせなの。あなたは?」
「午後から音楽ラッシュなんです。××組だと大変でしょう?」
「そうよ。恐い監督さんだから、今からドキドキものよ。それに今度のは大作だし、余計に神経使うわ」

車中で僅かな会話を交わしている間に早くも車は撮影所の門をくぐっていた。
このままずっと乗って居たかったと思ったのは車から降りてからだ。

「どうも有り難うございました」
いづみちゃんに一礼すると、彼女はにっこり笑って
「いいのよ、これ位」
「次の作品、頑張って下さい。期待してますから」
「あなたもね、じゃあ」
手を振りながら俳優部の方へ消えて行った。

時間にして7、8分、10分足らずの短いお付き合いだったが、このことがあって以来、益々いづみちゃんが好きになつた。これは私の撮影所時代の貴重な思い出である。

今はきっと優しいおばあちゃんになり、藤竜也夫人として夫に尽くしていることだろう。

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東京オリンピックの年 大日本シリーズで作家の花登筐さんと知り合う

          撮影所時代 (その25)

東京オリンピックで世の中が沸いていた頃、私は友田プロ企画になる大日本シリーズ4作品を担当して目が回る忙しさに明け暮れていた。

大日本シリーズは超多忙の花登筐氏の原作を関西お笑い陣総出演で映画にしたものだ。何しろ忙しいお笑い陣のこと、拘束できる日数が決まっている。所内で出演者の取り合いになったのだから恐れ入る。各組の助監督はスケジュール表を睨みながら、役者の組み合わせがまるでパズルのようだとボヤいていた。

スタッフ、キャストは次の通りだ。「大日本コソ泥伝」は春原政久監督、音楽 萩原哲晶 出演は主人公に長門裕之、それに藤村有弘、由利徹、佐山俊二、桂小金治、関西喜劇人に天王寺寅之助、大村崑、佐々十郎、南都雄二、藤田まこと、かしまし娘、茶川一郎、夢路いとし、喜味こいし、中田ダイマル・ラケットという豪華版だ。女優陣は松原智恵子、山本陽子、西尾三枝子というメンバーである。

「大日本チャンバラ伝」は監督が吉村廉、音楽は池田正義、出演は主演に伊藤雄之助、相手役に楠トシエ、西尾三枝子、和田浩治、お笑い陣には由利徹、佐山俊二、若水ヤエ子、茶川一郎、平凡太郎、堺駿二、大村崑、佐々十郎、白木みのる、トニー・谷、左とん平だ。

Photo 「大日本殺し屋伝」は野口晴康、音楽は三保敬太郎、主役は宍戸錠、山本陽子、殺し屋連中に土方弘、大村崑、佐々十郎、人見きよし、平凡太郎、白木みのる、由利徹、佐山俊二、E・H・エリック、夢路いとし、喜味こいし、左とん平、若水ヤエ子、藤山寛美といったところだ。

「大日本ハッタリ伝」はこれも吉村廉監督、音楽池田正義、主演に長門裕之、笹森礼子、伊藤るり子、お笑い陣に大村崑、佐々十郎、みやこ蝶々、由利徹、佐山俊二、かしまし娘、南都雄二、茶川一郎、白木みのる、藤村有弘、それに懐かしの大津美子が出演している。

どの組の撮影も役者のスケジュールにおいたくられ、徹夜、半徹になるのはやむを得なかったと言えよう。

原作者の花登さんも何度か撮影所に顔を見せた。プロデューサーの友田氏が私を紹介してくれた。背の高い顔の長い人だなという印象を受けたものである。

出来上がった作品、どれも今ひとつという結果だったが、中で良かったのは「大日本チャンバラ伝」が一番まとまっているように私には思えた。これはドサ廻りの芝居一座を舞台に取り上げたもので、伊藤雄之助の座長が哀愁を漂わせて圧巻だった。

お笑い陣の中ではやはり大村崑と佐々やんのコンビが面白く見せてくれた。かしまし娘のトリオも芝居外でも大いに笑わせてくれたものだ。ショーマンシップの発露であろうか。

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「夜明けのうた」は私の人生の夜明け?

           撮影所時代 (その26)

1964年から1965年にかけて、「海賊船 海の虎」、「生きている狼」、「男の紋章 喧嘩状」、「拳銃野郎」と立て続けに井田組の作品を担当した。音楽監督はどれも山本丈晴さんだ。

「海賊船 海の虎」は錠さんの主演で共演は二谷英明、松原智恵子の海洋物だ。ダビングルームで「カ~ラ~ス~ なぜ鳴くの~」とチーコが『七つの子』をプレスコ録りしたことを思い出す。デビューの頃と違い松原智恵子は落ち着いていた。態度、物腰もスターに近づいたなと私は見ていた。

「生きている狼」は小林旭主演、長内美那子、笹森礼子の共演で遊郭もの。小林旭が命を張って女郎を助ける筋書きだ。

「男の紋章 喧嘩状」、これは言わずと知れた「男の紋章シリーズ」の一本。高橋英樹と和泉雅子のコンビ作品。ラッシュを見ていると英樹もかんろくが出てきたなと思ったものである。

Photo_2 続く「拳銃野郎」はターキーさん、水の江滝子の企画で、主役のキラージョーに高橋英樹、コンビの親父に伊藤雄之助、女優陣には十朱幸代、伊藤るり子、他には名古屋章、ゲストとしてアントニオ古賀が出演している。

確か音楽ダビングの日だったと記憶しているが、アントニオ古賀さん、丈晴さん、それに丈晴氏のお弟子さんのギター3挺での演奏を聴いた覚えがある。

これは滅多に聴くことが出来ない見事な演奏だった。録音部さんはじめ、スタッフ全員がしばし聞きほれたものだ。

出来上がった作品の評価も中々良かったと記憶している。水の江さんが云ってくれた一言が私にはとても嬉しかった。「丈晴さんの音楽、良かったじゃない」と。

この作品、高橋英樹と伊藤雄之助のコンビがいい味を出していたと言えるだろう。

1965年(昭和40年)3月、私は大阪・堺で結婚式を挙げた。自分ではまだ早いと思っていたが、母が次々に世話役の伯母さんが持ってくる釣書を見せるので根負けして遂に承知したのだ。見合い結婚だった。活動屋などまともな仕事だと思ってくれず、断られるのも再三、何しろ給料の安さがネックになったと言えよう。

そんな中、相手の父親、田辺松太氏に気に入られ、田辺家の二女田辺嘉子と華燭の典を挙げた。新婚旅行は北陸・金沢方面を訪れた。帰路は小松空港から初めての飛行機に乗り、杉並区下高井戸の新居に落ち着いた。新居と言っても6畳一間のアパートだ。

撮影所では、山本丈晴さん、明治の先輩Imado氏、プロデューサーの友田氏が発起人になり、「祝う会」を開いて下さった。場所は渋谷の「獅子林」、時は昭和40年3月21日夕べのことだった。

Photo 発起人を代表して丈晴さんが挨拶して下さり、Imado氏の乾Photo_2 杯の音頭で宴は開始された。撮影所製作部次長の鈴木先輩、児井プロ、山崎監督、作曲家の小杉太一郎氏、など怱々たる方々にご挨拶を頂戴した。

また、プロデューサー室の神谷和枝嬢、大学時代からの友人、谷口君からも心のこもった挨拶をもらった

司会は桂小金治師匠のお弟子さん、桂小かんちゃんがやって下さり、大いに笑いで座を盛り上げて下さった。かくして、私は新しい人生のスタートを切ったのである。新家庭のスタートは部屋に家具らしいものはなく、少しずつ買い揃えて行かねばならなかった。結婚まで生活費のことなどとんと念頭になかった私だが、これからはそんなことではいけないと痛切に感じていた。

Photo この年のゴールデンウィークに入った頃、蔵原組の「夜明けのうた」がクランクインした。これは岸洋子さんのヒット曲の映画化作品で、音楽監督はいづみたく氏。出演は主役の緑川典子に浅丘ルリ子、相手役に浜田光夫、他に松原智恵子、岡田真澄という布陣だ。勿論、岸洋子も歌手役で出演している。

岸洋子さんの歌のプレスコ録りとルリちゃんの歌の録音を間近で見ることが出来、なんとも素晴らしかった。岸さんはともかくルリちゃんの歌もさすがと思わせるものがあった。

”夜明けのうた”はクランクアップまで何度も口ずさんでいたことを覚えている。音楽監督のいづみたく氏は初めてのお付き合いだったが、中々気さな方であったと記憶している。

それに私にとって、この作品が日活で音楽事務をやった最後ということもあり、思い出深いものがある。というのも花登さんから是非来てほしいと誘われ、花登プロダクションに移ることになっていたからだ。何より給料のアップが嬉しかったので、二つ返事で決めたと言っていいだろう。

最後部中央付近 ルリちゃんの後ろ3列目が私

Photo_5 最後になった作品だからかも知れないが、なんと無精者の私にしては珍しく背広にネクタイである。

当分、撮影所とはお別れになると思うと、なにか無性に寂しい思いがしてならなかった。写真はルリちゃんの右隣が蔵原監督、左隣には園田プロデューサー、その隣がいづみたくさんである。

この作品、メロドラマとして結構評判がよかったと思う。興行成績は今ひとつだったように記憶しているのだが。

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超人作家 花登筺さんはいつ眠ったのだろう???

          花登プロダクション時代 (その1)

私が初めて花登さんに会ったのは撮影所の食堂である。友田プロの紹介であった。大日本シリーズがクランクインする前のことだったような気がするのだが。花登さんは関西に拠点を置いていたが、東京にもと考えていたようである。

芝居の作・演出だけでなく、週刊誌の連載小説の執筆、映画の脚本と多忙を極めていた。しかし、花登さんの書く文字たるや分かりにくいこと夥しい。生来の悪筆である。「土性っ骨」の台本を見せてもらったが、伏字ばかりでさっぱり意味が分からなかった。これでは台本を貰った役者さんも困っただろう。

台本は○の連続、今ならワープロという便利な機械があり、どんな悪筆であってもきれいに書いてくれる。だが、当時はそんなものはなく、花登さんは清書係を探していたところに私が出会ったという次第だ。

1週間、10日と花登さんの生原稿に接しているうちにくせ字の判読も次第に慣れてきた。どうしても判読不能文字はあとでまとめて花登さん本人に確認した。半月もしないうちに花登さんの原稿はどうにか読めるようになっていた。

その頃、「銭牝」が週刊誌、「フグとメザシの物語」が新聞小説の連載だった。神経を使ったのは前回までの書き終わりを記録しておくことだ。大阪で新幹線に乗る前に私の家まで電話がある。私が前回の終わりはこうなっていたと数行告げると、「分かった。東京駅に×時△分に着くから、迎えにきてくれ」と云って電話が切れる。

Photo 花登さんの東京駅到着に合わせて私が駅まで迎えに出ると、車中で書いたばかりの原稿を渡してくれる。週刊誌なら一回分、新聞原稿なら7回分は必ず書いていた。これを車中3時間10分の間に書いてしまうのだ。まさに”新幹線作家”にふさわしい。

原稿を受け取った私は、手近の喫茶店に飛び込む。そして、生原稿を清書するのである。私が最初の読者という訳だ。原稿を清書し終えると、再度点検し、その足で出版社や新聞社へ届ける。

それから花登さんのいるホテルへ直行するのだ。花登さんは東京、大阪を毎月半々位のペースで仕事をこなしていた。大阪には正規のマネージャーである村木さんがいた。それに大阪・豊中のご自宅には奥さんで舞台女優の由美あづささん、車の運転手○○君(ご免、尊名を忘れた)がいた。

花登さんを見ていると、仕事・仕事・仕事の連続だ。ほんとに”仕事の鬼”である。並みの人間にはとても真似ができない。”モーレツ人間”を凌駕している。やはり超人がふさわしいと思ったものである。

それにしても、いつ花登さんは眠るのだろう。そばにいる間、花登さんの眠っている姿を一度も見たことはなかった。寝そべって原稿を書いていたり、私が目を覚ますと既に布団はもぬけの殻だったことも度々あったが・・・。

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超速人気作家 花登式台本執筆法とは???

         花登プロダクション時代 (その2)

花登さんの作品執筆法は余人の真似するところではない。私は何本も執筆をお手伝いさせてもらったが、私自身これは到底真似ることなど不可能だと思ったものだ。

舞台脚本の執筆に入る時は、花登さんから連絡が入る。「今夜7時、ホテルに来てくれ」と言われると、私はその時間にホテルの部屋に駆けつける。途中、薬屋に寄って、強壮剤のアンプルを箱で買っていくのである。ホテルはたいてい赤坂プリンスホテルの一室だった。

Photo 小机に向かい原稿用紙を拡げて私はスタンバイする。腹ばいになった花登さんが書き始める。ハコ書きなど見たことはない。メモすら見あたらない。シナリオを書いたことのある方ならご存知だろうが、1場面1場面のセリフや人物の動きなどをハコに書き込んでいく。それがないと前には進めないのが普通である。舞台脚本にしても芝居の大まかな流れを書いて、それを見ながら書くのが大方の執筆法であろうと思う。

ところが花登さんの書き方はそんなものを超越していた。白い原稿用紙を前にして、しばし黙考していたと思うと、いきなり書き出す。それも万年筆である。ハッハッと細かく息を吐きながらペンを動かすのだ。それがモーレツに早いのである。最初は面食らった。ぼんやりしているとアッという間に原稿が5枚、10枚と溜まっていく。私が1枚清書しているうちに3枚は書き終えている。手を休めるのは強壮剤をストローでチューチュー飲んでいる時だけなのだ。

まさに驚きを通り越して唖然、呆然としたものだ。花登さんが書き出した時には既に原稿は頭の中で完成しているのであろう。あとはそれを紙に写し出すだけの作業である。そうとでも思わなければ理解できない。本当に神業に近いと私は思ったものだ。凡人の私などが花登さんの書き方を真似しようものなら、支離滅裂なものが出来上がるに相違あるまい。

2時間程、夢中で書くと「ちょっと出かけてくる」と言って花登さんは中座して何処ともなく出かけていく。私はうず高く積まれた原稿を見ながら、黙々と清書に勤しむのだ。3:1のペースを2:1までもっていくのがやっとだった。何という速さなんだろう、只ただ感嘆するばかり、花登式執筆法なるものは、とても凡人が真似ることあたわずと教えられただけであった。

1時間ほどで花登さんは戻ってきて執筆再開する。そして、明け方には執筆完了する。強壮剤は10本は空になっている。こんな調子で仕事をして大丈夫だろうかと思ったものである。休む間もなく花登さんは清書した原稿に手を入れて行く。私が清書し終えるのとほとんど同時に直しも完了という訳だ。こうして舞台脚本は書き終わりとなる。

花登さんは舞台であろうが映画だろうが一つの作品を書き上げるのはほとんど1晩だった。そして書き上げた作品の舞台稽古が翌々日というケースも稀ではなかった。何しろ売れっ子の花登さんである。毎月、東京、大阪、名古屋のどこかで作・演出の芝居が待っていたのだ。

これは当に鬼気迫るとしか表現できない花登さんの執筆風景だった。

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舞台稽古はほとんど深夜

          花登プロダクション (その3)

花登さんの芝居の舞台稽古はたいてい夜8時頃に開始されるのが普通だった。新派のもの、関西喜劇人を芯に据えた作品、どちらも根性物が多かった。

私の記憶に残る作品といえば、新派では「つりしのぶ」、喜劇物では「雨のち曇りのち晴れ」、「ステテコ大将」などである。

Photo 舞台稽古は深夜に及ぶことが多く、終了するのは明け方というのも度々だった。休憩時間になると仮眠を取る役者さんも多かった。その中には寝込んでしまう人もいて、進行係は困っていることも。そんなとき、花登さんは「何を遠慮してる、叩き起こせ!」と云ったものだ。

休憩の合間にはもっぱら強精剤のアンプルをチュウチュウとストローで飲み、元気をつけて稽古を再開するのが決まりであった。

新派作品には波乃久里子や水谷良重(現・八重子)の出演することが毎回だったように思う。一方、喜劇物では、大村崑、佐々十郎、左とん平、などが必ず出演し、観客を笑わせていた。女優さんで妻でもある由美あづささんには出演場面を作り、見せ場を仕組んでいたようだ。

舞台初日の日は総監室に入って、そこから舞台を観る。そして伝声管を通して舞台裏の演出助手に直しの指示を出すのだ。総監室は客席の一番後ろにあり、オペラグラスを置いてあった。 

花登さんのように忙しい人を私は見たことがない。そんな氏の落ち着くときは、銀座のバーでブランデーを飲んでるときか、野球見物だったのではあるまいか。そのときでも脳の一部は激しく動き、絶え間なく脳内で書き続けていたのではないかと私は思う。

花登さんは阪神ファンで、スポーツ新聞社からよく観戦記を依頼されていた。また、読書家でもあった。新幹線内での執筆は有名だったが、乗るたびに書いていたわけではない。文庫本を3冊買い、それを全部読んでしまうのである。速読を実践していたのだろう。書くことにせよ、読むことにせよ、集中力は凡人にはマネの出来るものではなかったといえよう。やはり偉大な人物だったと云わざるを得ない。

花登さんのところでは約1年ほどお世話になっただろうか。その頃、映画製作のプロダクション設立の話が持ち上がり、知り合いの友田プロデューサーから参加しないかと言ってきた。花登さんを紹介してくれたのも友田氏である。返事に窮したが、映画への魅力は絶ちがたく花登さんには無理を言って辞めさせてもらった。

ところが、ところがである。準備は思うにまかせず、社長に予定していた山本一哉氏が暫く見送ろうと言い出した。資金繰りが思うに任せなかったようである。そして私は山本氏の会社ソノ・レコードに籍を置き、開始を待つことになった。昭和41年のことだったと思う。

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ソノ・シートって何???

      ソノ・レコード/ ノーベル書房時代(その1)

ソノ・シートという薄いペラペラの丸いディスクをご存知だろうか。レコード盤のように溝が彫ってあり、蓄音機にかけて針を乗せると音が出た。レコードの簡易版というやつだ。これが良く売れたらしい。それとファニーペットと名づけた動物人形を12種類作成して通信販売を行っていた。また「田崎英会話教室」をソノ・シートを使って販売していた。

私が入ったときは、ソノ・シートの全盛期は過ぎており、売り上げは下降線を辿っていたようだ。社屋は東京都新宿区西大久保1丁目の西北ビルというところにあった。社員はざっと20人位いただろうか。社長の山本一哉氏は芸術家タイプの人で、同じビルに住んでいる作家の田村泰次郎氏と親交があった。

田村氏は「肉体の門」「春婦伝」等で知られる肉体派の作家で、何度かお見かけしたことがある。

当初、私の仕事は車の運転だった。免許は昭和40年12月に調布自動車学校に通い、Photo_2 試験場で無事にパスしたのだ。毎日、車で通販の商品を郵便局まで運んでいくのが仕事であった。それと返品されてくる商品の整理だ。

また、埼玉、高崎、群馬県までソノ・シートの引き上げに連日のように走ったこともある。地方の町の本屋さんへ委託販売していた商品を引き上げてくるのだ。これは結構疲れる仕事だった。ほとんど吾妻君が一緒だったと記憶している。

この年、昭和41年10月14日午後12時33分に長男、弘一郎が産声を挙げた。しかもこの年は丙午で出生率は相当ダウンしたらしい。丙午生まれの女性は、気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮める(ひのえうまの女は男を食い殺す)とまで、一般庶民の間ではそう言われており、結婚を避ける風習があった。迷信とは云え、避けたくなるのが人情だろうか。幸い生まれたのが男だったので、将来、進学が楽になると喜んだくらいだ。(実際にはそうでもなかったが)

それはともかく親になった気分は”独特の気分”だった。ガンバラなきゃと思ったものである。しかし、息子の顔を見たのは年末帰省してからのことだった。

山本社長はソノ・レコードの傍ら、ノーベル書房と言う名の出版社を設立、大型豪華本写真集を企画・出版、出版業界に殴り込みをかけた。その第一弾が「太平洋戦争名画集」である。

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出版社の宣伝マンは面白い??

      ノーベル書房・ノーベルプロ時代 (その2)

出版社を立ち上げると、私は社長に宣伝担当を命じられた。肩書きは一人だけの宣伝課長。おかげで新聞や週刊誌の宣伝広告を勉強させてもらった。

新聞広告は一面最下段によく出したものだ。勿論、原稿は全部自分で書き、社長に見てもらう。OKが出れば広告屋に渡す。売り上げが上がればよし、上がらなければ責任大と言うものだ。

Photo 「太平洋戦争名画集」は売れ行きも結構良かった。ひょっとしたら、あなたのお父さんの書架に保存されているかもしれない。太平洋戦争の数々の名場面がそこには存在している筈だ。

「太平洋戦争名画集」に続いて、「滅びゆく蒸気機関車・関沢新一 写真集」の発刊、「猫と女とモンパルナス・藤田嗣治」、「わが青春・旧制高校」と話題作が続々と出版された。ノーベル書房は”写真集の出版社”として、一躍名前を揚げた。                                                                            次の「竹久夢二」の企画・製作中、車で編集員の成橋氏、吾妻氏等と一緒に伊香保、妙義山、榛名山などを取材で走り回ったのは忘れられない想い出だ。

中でも榛名山にある社長の別荘に泊まった夜の楽しかったこと。その晩は皆でドンチャン騒ぎをしたことも懐かしい。

幸い近隣が離れていたこともあり、どこからも文句はでなかった。

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旧制高校生になった気分で・・・!!??? そしてーー

     ノーベル書房・ノーベルプロ時代(その3)

宣伝活動で面白かったのは、「わが青春・旧制高校」のときである。貸衣装屋で旧制高校Photo の学生用の制服やマント、帽子に高下駄などを借り、表紙用の写真撮影に出かけたことがある。モデルは全員社員だ。勿論、私も参加している。右の写真では右側の先頭を歩いているのが私だ。残念だが、この写真は使われなかった。

撮影者はプロカメラマンの剣持加津夫氏である。枯れすすきの生い茂る深大寺付近の一角で、歩いたり、ポーズを取ってみたり、寝そべったりする我々を剣持さんはバシバシ撮り捲るのだ。モデルというのも疲れるものだと知った。出演料など0円だから余計にそう思ったのだろう。

帰りに深大寺で食った深大寺そばは実に旨かった。

これは昭和43年のことである。年が明けた昭和44年、1月24日午前2時05分、長女加容(かよ)が倉敷で生まれた。私は一男一女の父親になったのだ。責任の重さをひしひしと感じた。

44年になり、ノーベルプロの設立がようやく本格化した。私は友田プロと共にノーベルプロに移行し、そちらに専念することになった。

最初の作品は野坂昭如原作の「ゲリラの群れ」の映画化だ。「極道ペテン師」の題名でクランクイン。監督は千野皓司、主演はフランキー・堺、朝丘雪路。取り巻きのペテン師連中には、伴淳三郎、大辻司郎、南利明、曾我廼家明蝶、それに梶芽衣子、松井康子、清川虹子という豪華キャストだ。

最初は大阪ロケからのスタートだったと思う。私は進行役をやらされたが、まだまだ不慣れなこともあり、失敗が多かった。特に資金がショートすることが度重なったものだ。独立プロの映画作りは厳しいものだと思った。

大阪の天満商店街の二階で撮影が始まると野次馬が大勢現われ、整理に時間を食ったことを思い出す。フラさんや伴淳さんは撮影の合間には野次馬連中と大声で何事か話している。

心斎橋の千日前跨せん橋で撮影したときは人、人、人の山。フランキーと朝丘雪路が語り合う場面だ。1カットごとに橋のたもとにある喫茶店に雪路さんを観客から逃がすのは大変だった。

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ペテンに遭ったような気がした映画界との訣別!!

       ノーベル書房・ノーベルプロ時代 (その4)

大阪ロケを終わって東京に戻った頃から、「極道ペテン師」の撮影続行が難しくなってきた。資金が続かなくなってきたのだ。そして・・・撮影は一旦中止となったのである。役者さんたちの拘束期間も切れてしまった。

スタッフのギャラも未払いがある。私ももう数ヶ月無収入の有様だった。僅かな貯金も忽ち底を尽いてくる。プロデューサーも大変だろうが、こっちも泣きたい毎日だ。

私は遂に意を決してプロデューサーの友田氏に会い、私にも金をまわせと談判した。妻と子供二人を抱えてやっていけないことは眼に見えている。当座の資金と云って、いくらかでもくれたなら我慢していただろう。だが、答えは違っていた。

「金はないんだ。どうしてやりようもない・・・・・」という冷たいことばだ。

「このままじゃ、子供たちが日干しになります。今日限りで辞めます!」

私は叫ぶように云って、家に戻ると妻の嘉子に事情を話し、「東京を引き上げることにした」、といった。さすがに妻はびっくりしたようだった。

「どうするの? これから・・・」

「大阪に帰ってから考える」

寝ている子供たちの無邪気な顔をみながら、そう答えることしか私には出来なかった。

こうして長年住み慣れた東京を離れ、大阪・堺にある親元へ帰ることになったのだ。日活も以前のような黄金時代はうそのようにかげりが見え始めていた。それにしてもこんな形で映画界と別れることになろうとは、人生ってやつは先の見えない曲がり道だな、そう思った。

東京を次第に離れ、新幹線の車窓から見た富士山に私は別れを告げた。いつかまた東京へくることがあるだろうか。もう二度と東京に住むことは無いだろう、私は夕焼けに染まる富士山を見ながら、そう思うのだった。

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花登さん 麻雀を打つの図

         (花登プロダクション時代)その2A

ある日のこと、花登さんのところへこんちゃんと佐々やんの二人がやってきた。3人連れで遊びに来たのだが、連れの一人は急用を思い出し、途中で帰ったらしい。

「先生とこで麻雀やろか云うて来ましたんや。3人打ちではおもろないし、あんたでけしまへんか」

こんちゃんが、わたしに声をかけてきた。

「わてらの賭けは○○でっせ。やりまへんか」

「あんた、勝ったら儲けもんやがな、やろやろ。な、先生、よろしおまっしゃろ」

佐々やんが調子いいことを言う。

この日は花登さんが借りて間もないマンションで原稿を書く予定で、私は伺っていたのだ。そこへ突然の闖入者である。さすがの先生も佐々やんとこんちゃんに傍で騒がれたのでは仕事にならない。やむなく雀卓を囲むことになった。まだ昼過ぎたばかり。

「気にするな、負けたときは、なんとか考えたる」

との花登さんの言葉で、私も雀卓に座った。

この勝負、花登先生の独り勝ちで終了したと思う。終わって二人がぼやくこと、

「先生にいかれてしもたやないか、だからわて、いやや云うたんや」と、こんちゃん。

「うそつけ、返り討ちにしてまうよっていこ云うたんは誰や」と佐々やん。

稀に見る二人の口喧嘩はおもしろかった。

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