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2008年7月

館の梯子で5本観たあの日!! 高校時代

       第4景高校時代 (その1)

 

高1入学記念 最後部左から3人目が私 Photo_2                   池田高校は町を見下ろす高台に位置する。今では高校野球で全国にその名が知れ渡ったが、私が通っていた頃は片田舎の無名高校に過ぎなかった。後年、名前を売った蔦先生は、担任ではなかったが、社会科の先生で何度も授業を受けることが出来たのは幸運だったと云えよう。生徒に慕われる良い先生だったと思う。

 私が池高に入った年(昭和27年4月)、蔦はん(蔦文也氏)は野球部監督になった。池高の教壇に立ったのは昭和26年(1951年)のことだ。社会科の教師としてだった。

 

蔦はんは徳島商業から社会人野球「オール徳島」を経て、昭和25年プロ野球が2リーグ分裂の時、東急フライヤーズ(現日本ハムファイターズ)に投手として入団したが、0勝1敗の記録を残し1年でクビになった。これが蔦はんの球暦である。

当時、蔦先生は熱血漢教師として生徒たちに人気があり、「蔦はん」と呼ばれて慕われていた。授業は楽しかった。

 「おまはんら、目的ちゅうもんを持っとるか。それも半端じゃない、一生を貫くようなドデカイ目的ぞ。何でもええ、そいつを捕まえたら離すなよ。とことん努力するんじゃ、人に何と云われようとかんまん。遣り抜くんじゃ。そうしよるうちに、目的の方からいつか必ず近づいて来る。そしたらすかさず尻尾を掴むんじゃ。目的を達成するにはそれしかない。先生はそう信じとる。」

蔦はんは授業の度に熱弁を振るって私たちに自らの信条を叩き込んでくれた。

その頃の池高野球部はやっと頭角を現し、県代表校も夢ではないと云うところまで来ていたが、いつも行く手を阻むのは徳商だった。ユニフォームに着替えてグラウンドに立つ蔦はんは、容赦なく選手をしごきにしごいていた。つるべ打ちのノックが打ち出され選手がへたり込むと怒声が飛ぶ。「おまはんら、米のメシを食っとるんか!そがいなことじゃ徳商は倒せんぞ!」と。

        
Photo_3 私の叔父、久保添実は阿波池田の町でも名の通った薬局を営んでいたが、蔦はんとは飲み仲間で、叔父からいろんな逸話を聞かせて貰ったことがある。勿論、高名になる前の話しだ。叔父はトリス・ウイスキーのポケット瓶をいつも懐にねじ込みチビチビやるほどの酒好きで、愛犬にまでトリスと命名したほどの飲み助。一方の蔦はんも「わしから酒と野球を取ったら何も残らん。」と言うほどの酒豪。二人は格好の飲み友達だったようである。

池高の監督に就任してからというもの、蔦はんと飲むと如何にして強いチームに育て上げるかその話ばかりで、叔父は辟易することが度々だったと云う。「見ちょれよ、今に徳商を倒しちゃるけえ。わしゃ、池高を日本一のチームに鍛え上げるけえの。」と大声をあげて喚いたこともあったらしい。そして、試合に負ける度に飲んで荒れる。特に徳商に大敗した時などは大荒れだったそうである。グデングデンに酔って深夜の町を二人で高歌放吟して歩き、交通標識の方向は反対を向ける、郵便ポストを二人で持ち上げようとウンウン唸りながら格闘したこともあったという。まことに蔦はんらしい逸話である。

 昭和46年(1971年)夏甲子園初出場、49(1974年)年春にはセンバツ初出場し「さわやかイレブン」で話題をさらい準優勝。54年(1979年)春、土砂降りの雨の中、東洋大姫路と演じた決戦は球史に残る壮絶な戦いだった。この時も準々決勝で涙を呑む。そして54年(1979年)夏、連続出場に沸く阿波池田の熱い声援を受けて戦ったが、決勝戦で惜しくも敗退、全国制覇はならなかった。

 蔦はんは3年計画で選手たちを鍛えた。非力では甲子園で勝てないと悟ったのだ。練習の大半はパワーアップに費やされた。そうして57年(1982年)夏、蔦野球が遂に大輪の花を咲かせた。

Photo_5

「やまびこ打線」の異名をとる池田チームが打ちまくり、相手を叩きのめした。6試合で85安打、うちホームラン7本。高校野球史上空前の猛打であった。そして、遂に優勝、悲願30年、蔦はんの生涯を賭けた夢が稔ったのだ。池田の町はお祭り騒ぎ、蔦はんは一躍名士になったのである。

その晩、私は阿波池田の実叔父にお祝いの電話をした。叔父はもう既に一杯も二杯も飲んでいたのであろう、上気した声で喋りまくった。「あいつは大した男ぞ、とうとうやりおった。苦節30年、あいつの執念は一級品ぞい。今、池田の町は沸きにわいとる。やまびこ颪が吹きまくっとるぞ。わしゃぁのう、嬉しゅうて嬉しゅうて・・・」終わりは涙声でよく聞き取れなかった。

 

 二度の全国制覇を成し遂げ、名実共に池田の名前を全国区にした蔦はんの業績は、この終始変わらぬ一念が成し遂げたのであろう。

                            Photo_8 実叔父 手酌で

 池田の名誉町民として功なり名遂げた蔦はんも今では故人となられ、これも数年前物故した実叔父と、あの世で酒を酌み交わしているかもしれない。ここに改めてお二人のご冥福を心から祈りたい。合掌。

 話は元に戻る。池高時代の私の友人は二人だけである。一人は米屋の息子のI君、もう一人は医者の息子、S君だった。I君とは映画好きということで話が合い、一緒に良く映画を見に行ったものだ。池田には池田館と春日座と言う名前の二館しかなく、邦画ばかり上映していた。洋画は月に一、二度かかるだけで、それも一日だけか精々二日どまりであった。私は洋画がかかると、ほとんど欠かさず見に行ったものだ。I君はダニエル・ダリューの大ファンで彼の部屋には彼女の写真の切抜きが至る所に飾ってあった。

 初めてタバコを吸ったのは,I君の家でのことだった。彼は高校に入学後、好奇心からタバコに手を出し親に隠れて自室で時々吸っていたようだ。吸ってみろ、と言われて私もついその気になりタバコを咥え、火をつけて吸ってみた。煙を吸い込むや、忽ち咳き込んだ。この時の苦しさはひどいものだった。こんな不味いものをよく吸うなと思ったものだが、それでいて大学に入るとプカプカやり出したのだからお笑いである。タバコを吸ったからといって、I君が素行の悪い生徒だったという訳ではなく、至って真面目な若者であった。彼の名誉のために記しておかねばなるまい。

 もう一人の友人S君は、将来は医者志望と云うだけあって成績優秀な学生だった。スポーツマンで庭球部に籍を置き、放課後はテニスコートでいつもラケットを振っていた。彼は本を読むのが好きで、本好きの私とはよく文学の話を交わした。彼は理数系に強く、中間試験や期末試験の頃になると、数学や幾何、物理などを教えてもらいに、彼の家によく通ったものだ。

 この年の6月10日、病床にあった祖父、真四郎が死去した。享年68歳であった。お葬式は家で行われたが、それは盛大なものだった。

 久保添家の宗旨は日蓮宗で、お寺からきらびやかな法衣を着た坊さんが6人も来たのには驚いた。別れを惜しむ参列の人の波は家の奥の豪華な祭壇の前から表通りまでぎっしりだった。

 喪主は実さんが務めた。それというのも長兄忠司さんは家を出て帰ってきたことがなく、次男の久さんも1年ほど前に家を出て高知県で薬屋を開業、阿波池田の店の跡取りは実さんになっていたからである。

 お通夜、葬式と2日続いた弔問客の接待で、実叔父さんはくたくたに疲れていたが、それでも酒を呑んで来客と語り合っていた。

 台所も戦場と化していた。祖母の指揮で実さんの妻の喜久子叔母さん、文子叔母、それに母の3人が手伝いの人も交えて大車輪で駆け回っていたのを覚えている。終わって身内だけの宴になったとき、実さんが、「わしゃ、今度と言う今度だけはどれだけ飲んだか覚えとらん。わしまで死ぬかと思ったぞ。」と云ったものである。

 程なく高校生になって初めての夏休みがやって来た。私は岡山の家には帰らなかった。実叔父さんに休みになったら、店と倉庫の在庫調べと商品の整理を手伝ってくれと頼まれてからだ。

 店の中の棚卸だけでも大変なのに、中庭の蔵と店の横の大きな倉庫も加えると、1週間や10日で出来る仕事ではなかった。店の使用人の人と、晴意さんの3人で1日かかっても僅かしか進まなかった。

 返品期限の切れた医薬品、メーカーから送られてきた商品などが倉庫には山のように積まれていたのである。それを一つ一つ整理しながら記録して行く作業は大ごとだった。お世話になっているお礼にと軽く考えていた私だったが、疲労困憊の毎日であった。

 そんな夏の日の一日、私はI君と徳島まで遊びに行った。もちろん映画、それも洋画を見るためである。

 朝早く阿波池田を経ち、九時前に徳島駅に着く。それぞれが見たいものを一本ずつ一緒に見て、あとはどうするか考えようということにして開館したばかりの映画館に飛び込んだ。

≪見ておきたい名画≫

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アニーよ銃をとれ

ベティ・ハットンが強烈な個性で好演した名画

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巴里のアメリカ人

ミュージカル映画の至宝

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硫黄島の砂

太平洋戦争の激戦地、硫黄島上陸作戦の全貌を描いたスペクタクル巨編

 

まずはI君の見たがっていたダニエル・ダリュー主演の「うたかたの恋」、次に私が選んだ「アニーよ銃をとれ」。昼食は映画を見ながら、売店のパンと牛乳ですませた。続いて西部劇とミュージカル,戦争物を見て館を後にした時は、すっかり夜になっていた。池田に着いたのは10時を回っていたと記憶している。

 

館のハシゴをして1日5本はさすがに初めてで、帰りの車中では見た感想を喋りあい、池田までの時間はアッと云う間だった。大いに疲れたが、実に心地よい疲れであった。

 翌日からは又倉庫の整理、夏休み終了前になんとか終えることが出来てホッとした。実叔父からバイト料をたんまり頂いたのは嬉しかった。

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映画館巡りの日々 高校時代

         高校時代 (その2)

 

 2学期が始まり秋になった。私はこの季節が一年の中で一番好きだ。しかもこの年ほど大満足したことはない。

 Photo 松茸をたらふく食べることが出来た思い出があるからだ。松茸の吸い物、天婦羅、それにもまして美味かったのは焼松茸だ。焼いたばかりの松茸を手でむしって、それに徳島名産のスダチを絞って醤油で食べる。まさに天下一品の味で、量は食べきれない程あった。これが毎日のように続いたのである。今ではとてもありつけない松茸だが、恐らくこの時に一生分食べてしまったのかもしれない。

 雪が舞う頃になり路面がぬかるんでくると、私やI君、S君まで高下駄を穿いて道を歩いた、Photo_2

私は晴れた日でもそれを穿いたまま、カランコロン言わせながら、映画を見に通ったものだ。

 この時期には日本映画を良く見に行った。大河内伝次郎や嵐寛十郎のチャンバラ、高峰三枝子や津島恵子の主演作品などだった。

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魔像

阪妻の一人二役が光る痛快時代劇 津島恵子もいい

邦画もいいもんだと思ったのは池田で過ごした収穫だったかもしれない。ともかくよく見た。それでも池田高校での成績はそれほど悪くはなかったように思う。

昭和28年(1953年)の春、私は転入試験を受け、大阪府立豊中高校へ転入学した。父がクラレ岡山工場から大阪本社勤務になり、豊中市蛍ヶ池の社宅に転宅したからだ。

Photo_3 蛍ヶ池の家は社宅と言っても一軒家で、駅から5分程の洒落た洋館建ての建物だった。二階の洋間が私の部屋になったが、ベランダに出ると阪急電車の走るのが間近に見えた。大阪の高校に移れたことを私はとても喜んでいた。好きな洋画が幾らでも見に行けることが嬉しかったのだ。

学校では早速二人の友人が出来た。Y君とT君である。この二人とは妙にウマが合い休み時間も学校の帰りも一緒だった。

程なく、私はY君の強引な誘いに負けて運動部に入った。タッチ・フットボール部である。これはアメリカン・フットボールの高校生版で、タックルは危険なのでその代わりに背中をタッチするという仕組みだ。俗にアメラグとも呼んだ。Photo_4

放課後、毎日のように練習があった。最初はあの楕円形のボールを投げるのが一苦労だった。それでもY君の指導よろしきを得て、すぐにコツを覚え遠投が出来るようになった。ほとんど運動をしていなかった私には練習はきつかった。練習試合、定期戦と相手は池田高校が多かった。池高と言っても,大阪府立池田高校である。相手が関学となるとまるで歯がたたなかった。

Y君とは二人でよくミナミまで映画を観に行った。私は本編の映画が目的だったが、彼が見に行くのはニュース映画で、僅か数分のアメリカン・フットボールの実写だった。映画帰りの電車の中でも、彼の話はフォーメーションはTフォーメーションが一番だとか、あのロングパスは見事だったとか、フットボールのことばかりで、肝心の映画の話はほとんど出なかった。

Photo_5 この当時、伊丹空港は米軍に接収されており、イタミ・エアベースと呼ばれていた。そのため我が家の横を通る道は、ベースから蛍池や豊中の歓楽街に遊びに行く兵隊たちの通路になっていて、夜になると女性同伴のGIたちの喚き声や女の嬌声が毎晩のように聞こえてきたものだ

これには勉強にならず、さすがに参った。二階のベランダに出て眼下を見下ろすと、抱き合ってキスしたまま動かない二人、女ともつれながら歩いている男など、さまざまな姿態を見せてくれたものだ。アメリカ映画でよく観るシーンだったが、現実に見るのはめったにあることではなく、最初のうちは興味津々だったが、そのうち見飽きてしまった。

そんな影響もあったのかどうか映画には益々のめりこむようになり、愛読書はもっぱら「映画の友」だった。これは後年、(サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ)で一世を風靡した淀川長治氏が編集長をしていた映画雑誌だ。

      Photo_7

この本で見つけたスターのアドレスへファンレターをよく書いたのもこの頃のことである。勿論、英語でだ。そしてジューン・アリスン、モーリン・オハラ、デビー・レイノルズなど、名だたるスター女優からサイン入り写真を貰った時はホクホクしたものだった。

上の写真は私が大のファンだったモーリン・オハラからもらった私の名前入りのサインポートレートである。高校の頃から大事に秘蔵している私の宝物だ。

彼女の作品はほとんど見ている。中でもフォード作品「わが谷は緑なりき」「静かなる男」「リオグランデの砦」は忘れられない。”テクニカラーのクィーン”という称号は彼女のために生まれたといえよう。

≪見ておきたい名画≫

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わが谷は緑なりき

フォードが謳いあげた良き時代と深い家族愛

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静かなる男

4分間に及ぶ大格闘のシーンは見せ場のひとつ

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リオ・グランデの砦

親子愛・夫婦愛の中に騎兵隊魂を描いた傑作

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オードリー 新鮮度120%のデビュー 感動!! 高校時代

         高校時代 (その3)

  昭和29年(1954年)2月、マリリン・モンローが来日した。ジョー・ディマジオとの新婚旅行だったが、マスコミはマリリン一人に殺到し、さすがの大リーガーもむくれたそうである。

3月に入ると、東京方面修学旅行があった。本郷の東大時計台を眺めて、私は親父が東大生だった頃を偲んでみた。都内観光のあと熱海で一泊、伊豆大島、三原山、芦ノ湖を周って帰阪した。旅行中はいつもY、T両君と一緒だった。

4月、3年生に進級し大学受験を控え、勉強もおろそかに出来なくなった。私の成績は相変わらず理数系が悪く、文科系が良いという傾向が続いており、嫌いでも理数系に力を入れなくては成績の向上は望めなかった。

4月末、「ローマの休日」が封切られた。同じクラスの写真屋の息子、K君が早速観て来たそうで、それも映画館にカメラを持ち込んでいろいろな場面を盗み撮りしてきていた。誰もが主演女優オードリーの写真を欲しがった。

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ローマの休日

気品と妖精の愛らしさ 爽やかな「夢物語」

彼はクラスメートから写真の注文を取り、焼き増し費用を徴収して少しは儲けたようであった。私も1枚だけ注文して彼を儲けさせた口だ。            Photo_2       オードリー

この年の夏、フットボールの近畿大会があり、豊中高校は籤運にも恵まれ、ブロックの決勝戦に駒を進めた。決勝戦の相手は彦根高校で、戦いは彦根グランドで行われ、13-0で一蹴してブロック優勝を成し遂げた。私もセンターで優勝に貢献でき、嬉しかった。この時のY君の活躍は素晴らしいものであった。

前列左から三人目

Photo_4 その数日後、祝勝会が我が家で行われた。現役部員と先輩を合わせて20人程が集まり、食べかつ飲んだ。飲んだと云っても酒類は勿論なしだ。話題は優勝戦の話に終始した。食べ盛りの連中ばかりで、母は寿司屋に2度、3度と追加注文する始末だった。会費を安く抑えるために我が家を提供したのだったが、予算を遥かにオーバーし、不足分は先輩数人が分担して負担してくれた。

夏休みは補習授業と受験勉強に明け暮れ、映画見物に費やす時間はなかった。それでも息抜きと称して映画館には時々行ったものだ。

この年の夏のことだったと思う。8歳の弟、尭が蛍ヶ池駅近くの池の傍でトンボ採りをしていて、池に落ち込んで溺れ、通行中の若い男性に助けられたことがある。一度水中に沈んで浮き上がってきたところを発見し飛び込んで救ってくれたそうで、本当に危ないところだった。その時、私は補習授業に行っており、母に話を聞いて驚いた記憶がある。

やがて、新学期が始まった。この年、学校帰りにY、T両君と電気屋の街頭テレビに立ち寄ってはプロレス中継を良く見た。

テレビ放送は前年始まったばかりで、テレビはまだまだ庶民の手の届かない品物だった。テレビの前は黒山の人だかりで、力道山・木村対シャープ兄弟の試合を息を詰めて見守ったものだ。散々力道山が痛めつけられた後、伝家の宝刀空手チョップを炸裂させると観客はワッとどよめく。「もっとやれ!」「いてまえ!」と歓声が上がり、空手チョップでリングから転がり落ちたシャープ兄が、観客席の椅子を掴んでリングに上がるや、椅子を振り上げて力道山に襲いかかる。すかさず空手チョップが喉元に飛ぶ。リングから転がり落ちるシャープ兄。テレビ前の観客は興奮のるつぼだ。

悪玉シャープ兄弟と善玉力道山・木村の構図でプロレスは大人気番組になったと云えよう。映画の世界では11月に封切られた『ゴジラ』が大ヒット作品になった。懐かしくも古き良き時代であった。

Y、T両君とは今もお付き合いがある。このところご無沙汰続きだが、お会いして旧交を温めたいと思っている。お互いに元気でがんばりたい。

年が変わり、大学受験が目前に迫った。受験校をどこに決めるかは私にとって大問題だった。丁度その頃、同志社大学のアメリカン・フットボール部から推薦入学の誘いが私とY君に届いた。私は大学で運動部に入るつもりはなかったので断り、Y君は迷ったようだが、やはり断った。

父母からは関西の大学にするように言われていたが、私は東京へ行きたかった。父の進んだ東大は論外だったが、東京六大学のどこかに入りたいと思っていた。第1志望は早稲田、第2志望は明治か立教である。幸いその3校の試験日が別の日だったので、3つ受けることにし、両親を説得した。

父母は渋々同意してくれ、父のすぐ上の兄、利一叔父さんが神奈川県川崎市に住んでいるので受験中はそこで泊まるように世話をしてくれた。

程なく運命の日がやって来た。私は勇躍東京へ向かった。利一叔父宅は川崎市尻手にあり、叔母と4人姉妹の女系家族で食事時は実に賑やかだった。気さくにいろいろ話しかけてくれるのだが、どうにも居心地が悪く言葉を返すのがやっとの有様だ。若い女性にあまり慣れてなかったせいと思う。

早稲田を手始めに立教、明治と試験の日が続き、受験は完了した。大きなミスこそなかったが、合格間違いなしの自信はなかった。発表までの間、叔父宅の世話になり、有楽町、銀座、渋谷、新宿ともっぱら映画を観て歩いた。

早稲田の合格発表の日、掲示板に私の受験番号はなかった。続く立教も涙を呑んだ。最後の期待は明治にかかっていたが、私は発表前に帰阪することにした。運を天にまかせようと思ったのである。と言うよりも試験に落ちた悔しさ、空しさを三度も続けて味わいたくなかったのが本音だ。

明治からの合格通知は・・・やはり駄目だったかと思い予備校探しを始めたところへ、なんと合格通知が届いたではないか。まさに地獄から天国であった。こうして私は昭和30年(1955年)4月、明治大学商学部商学科に入学することが出来たのである。

≪見ておきたい名画≫

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風と共に去りぬ

スカーレットは呟く”明日は新しい風が吹くわ”

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誰が為に鐘は鳴る

メロドラマの絶品 バーグマンが愛らしい

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シェーン

西部劇の交響詩 ”ジョーイ、両親を大切にするんだよ””シェーン!!”

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映画は人生勉強の教師である・・・ 大学時代

      第5景 大学時代 (その1)

Photo_3 桜花爛漫と咲く春は私のためにあるようだった。上京して最初の下宿はクラレ社宅の寮母さんが紹介してくれた東大赤門に近い文京区西片の吉川さんという下宿屋だった。

お茶の水駿河台本校ならともかく、明大は2年生までは井の頭線と京王線の交差する明大前駅の和泉校舎だったので、通学に時間のかかるのが難であった。

吉川さんの下宿は賄い付きで、8人ほどの学生が住んでいた。場所柄、東大生が3人、中央大生が2人、日大が1人、法政大が1人、明治大は私一人だった。

入居間もない頃、下宿の新入生歓迎会と称して、飲み会があった。新入生は私と日大獣医学部のK君、それに中大法学部のS君の3人だ。下宿で集まって飲むのかと思っていたら、そうではなく、安い飲み屋を数軒ハシゴをして飲み歩いた。

私にとっては初めての体験で、自分の酒量も分からぬまま勧められる酒を片端から飲んだ。特に焼酎を飲んだのは生まれて初めてのことで、コップに数杯飲んで遂にはよろけて立てない始末であった。担がれるようにして部屋に戻ってからが大変だ。食べた物はきれいさっぱりお返しする、頭はガンガンするはで次の日は終日寝込んでしまった。S君とK君が部屋で唸っている私を心配して覗きに来てくれたのは嬉しかった。

1年13組の悪童連と 後列右から2人目

Photo_6 こうして4年間の大学生活が始まった。明大前駅で京王線を降り、甲州街道を渡って明大和泉校舎に入ると、各クラブが机を並べて盛大に新入部員を募っている。スポーツ部は勿論、文化部も一杯だ。英語研究会、マンドリンクラブ、映画研究部等などである。

私は大学では文化部に入りたいと思っていた。そして迷った挙句決めたのはやはり映研、映画研究部で、部室は運動場の外れにある古めかしい木造平屋建ての建物の中の一室だった。

床は板張りで歩くたびにギシギシ音がし、ガラス窓は破れ戸の建付けまでゆがんでいた。新入部員はYoneyama君とSonoda君に私の三人だけ。和泉支部の委員長は論客で鳴る2年のMiyataさん、副委員長のMatubaさんは技術面に詳しく、Yosizakiさんは映画史が得意の人だった。

大学の勉強は新鮮だったが、やたらと休講が多かった。1日の授業のうち、半日休講というのも珍しくなかった。毎朝、校門をくぐると掲示板の前でその日の受講科目をチェックする。休講かどうか調べて行動を決めるのだ。休講の貼り紙がしてあると、早速メンバーを募って麻雀屋に繰り込む者、図書館へ行くものなど様々だったが、私は部室を覗いて誰かいると映画の話にふけったものだ。

休講で思い出すのが、第一語学の英語担当の野原教授のことだ。野原さんが書いた英語の本がベストセラーになり、講義は面白く教室はいつも大入り満員だったが、反面休講が一番多い先生だった。「二匹目の泥鰌を狙って次の本を書いているからだ。」と知ったかぶりで言う奴もいた。第二外国語はドイツ語かフランス語のどちらかの選択で、私は仏語を選んだ。理由は簡単、フランス映画が好きだったからだ。

学校帰りには渋谷か新宿の映画館へよく通った。映研では毎週一度合評会なるものが行われる。公開された映画の中で話題作を取り上げ、参加部員全員でその作品のテーマ、背景、人物像などあらゆる角度から分析するのである。時には監督論、技術論になることもあった。そうした発言内容は合評会記録ノートに残される。記録係は1年生の役目と決まっていた。

月に一度は本校で、3,4年生を交えた合同合評会が開かれる。部室は駿河台校舎の地下、通称モグラ横丁にあり、出席する時は大いに緊張したものだ。うかつなことを喋ると先輩から徹底的に追及され、厳しく間違いを指摘された。一本の映画から歴史、哲学、社会、政治にまで発展することも度々で、映画を単にストーリーを追って見るのでなく、深く広く観ることを新入部員は要求された。

入学して数ヶ月経った頃、下宿を変わった。遠過ぎて通学に不便を感じるようになったからだ。今度は外食で京王線代田橋近くの世田谷区羽根木町だった。

井口さんという家主さんの家で、離れの三畳二間の内の一間を私が借りることになった。まだ建てたばかりというのが気に入って即決したものだ。隣の部屋との境は薄いベニヤ板一枚で仕切られており、外への出入りはもっぱら裏口からだった。

隣室にも程なく入居者があった。Murakamiさんという法政大学経済学部の二回生で1浪しており私より2歳年上で、全てに大人びていた。彼が入居した日、おとなしそうな女性を同伴したことに驚いたものだ。恋人だと彼女を私に紹介してくれた。名前はKabumotoさんと云った。

この当時、アルバイト・サロン、俗にアルサロなるものが流行っていたが、私は映研の仲間やクラスの友人ともっぱら新宿や下北沢のバーで飲むことが多かった。それも月に2,3度で、酒を飲むより映画を観る方が好きだったし、第一酒代が勿体なかった。そして懐が寂しい時は、近くの貸本屋で小説を借りて読書に耽っていた。

そんな私をMurakamiさんは、「大西君、飲みに行こう。飲み代は俺が持つからまかせとけ。」と言って、連れ出してくれた。二人だけのつもりで行くと、途中からKabumotoさんが合流する。私が気を使って席を立とうとすると、「俺と付き合うのが嫌か。」とからんでくる。「わたしたちのことなら気になさらないで。一緒に楽しく飲みましょうよ。」とKabumotoさん。こうまで云われては逃げ出す訳にいかず、止む無く二人に付き合ったものである。

以来、Murakamiさんとは毎晩のように話合う友人になった。何しろ部屋が隣同士で仕切りがベニヤ板1枚だから居るか居ないかは気配ですぐに分る。日曜日にのんびり横になっていると、板壁がドンドンと叩かれ、「起きろよ。朝飯に行こうぜ。」と声がして、ぐずぐずしていると起こしにやってくる。そして二人で近所の食堂へ食べに出かけるのだ。

Murakamiさんは宮城県気仙沼の出身、商売人の息子で、卒業後は家業を継ぐそうだ。Kabumotoさんとは1年以上前からの付き合いで世田谷区三軒茶屋に住んでおり、サラリーマン一家の一人娘と聞いた。年齢はMurakamiさんと同い年と思っていたが、実際は彼女の方が1才上とのことだった。

その頃、教室で時々会う巨漢がいた。隣席のAdachi君に聞くと、「神永だろう。奴は柔道部の中でも相当期待されているらしいよ。」と説明してくれた。がっしりした体躯は群を抜いていた。後年、東京オリンピックで惜しくもオランダのヘーシングに敗れた神永昭夫選手である。言葉を交わしたことはなかったが、好感の持てる人柄だった。

Adachi君とは英語が縁で知り合い、日米文化学院で英文タイプを一緒に習った仲である。夏休みに入る前、彼と一緒に皇居前広場へ英語の勉強のために外人ハントに行ったことがあった。そこで人の良さそうなスミスさんと出会い、彼は私たちを横須賀基地の家に招待してくれた。

               Photo_7

数日後、私たちは横須賀基地にスミスさんを訪ねた。基地は軍港を見下ろす高台にあり、港には多くの艦船が停泊していた。スミスさんはゲートまで迎えに来てカマボコ型兵舎まで案内してくれた。

部屋に入ると私たちは土産に持ってきた日本人形を差し出した。もうすぐ彼が帰国すると聞かされていたからだ。スミスさんは「サンキュー、サンキュー」を連発しながら喜んでくれた。家族やお子さんの写真を見せて貰ったり、夕食をご馳走になりながら故郷の話を聞かせて戴いたり、取って置きのウイスキーまで出して歓待して下さった。別れ際、眼下の港の灯が絵のように綺麗だったのを覚えている。

一度、珍しくMurakamiさんに誘われて有楽町の日比谷劇場までロードショウを観に行ったことがある。勿論彼女も一緒だった。映画はジーン・ケリー、シド・チャリシー主演のミュージカル「いつも上天気」。

シドのサイン入りブロマイド

Photo_8 内容は軍隊時代の親友3人が10年後の再会を約し除隊。10年後に会ったところ、仕事も境遇も変わってしまい人格まで違っていて、お互いにがっかりする。しかし、一人がギャングに追われたことから3人が昔のように団結し、ギャングをやっつけ友情を取り戻すというストーリーだ。

つい最近(平成20年6月)彼女の訃報を新聞で読んだ。本当に残念だ。天国でもジーン・ケリーやフレッド・アステアとあの優雅な踊りを見せているだろうか。

観終って日比谷公園を散策しながら、Murakamiさんは言ったものだ。「大西君、俺とお前は親友だぜ。10年経っても親友でいような。」と手を差し出す。「もちろん。」と私も答えて彼の手を握り締める。

横で見ていたKabumotoさんが「羨ましいわ、男の人の友情って。女の子の友情なんか長続きしないもの。」と云ったものだ。

≪見ておきたい名画≫

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雨に唄えば

土砂降りの雨の中で歌い踊る ああこれぞ名場面

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バンドワゴン

心憎いまでに素晴らしいシドの優雅な踊り

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真昼の決闘

西部劇の定石を覆した”対決を恐れる保安官”

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撮影現場にしびれた撮影所見学!! 大学時代

      大学時代 (その2)

間もなく試験の時期が来て、それが終わると大学生活最初の夏休みがやって来た。大学の夏期休暇は長く、40日以上あった。父はこの春、大阪本社勤務から栄転になり岡山工場の工場長として赴任していた。

                                                     社宅の前で 両親と     Photo_6

住まいは福島の元の北社宅だった。久しぶりに我が家に落ち着いて味わう母の手料理はいいものだった。8月から1ヶ月アルバイトをしたいと思い、仕事先を父に頼んでいた。父は、「工場の雑用でもやってみるか。」と言って、岡山工場の業者である大林組に頼んでくれた。

夏の暑い盛り私は自転車で母の作ってくれる弁当を下げて、毎朝8時には工場の門をくぐった。仕事は土木工事の軽作業で少し重いものを運んだりしていると、「ぼんに無理させたらいかん。ケガでもしたら大ごとじゃけえ。」と年配の現場監督が若い従業員に注意する始末だった。

Photo 私が工場長の息子ということでなにかと気を使ってくれるのは嬉しかったが、自分としてはそれに甘えたくなかったし、この機会に少しでも身体を鍛えておきたかった。最初のうちこそ慣れない仕事で疲れたが、慣れるに連れて軽作業では物足りなくなりスコップで穴を掘ったり、槌で杭を地面に打ち込んだりすることも度々で、熱心に働いたつもりだ。

お蔭で身体は日焼けで黒くなり、バイトが終わる頃には少しは逞しく見えるようになった。それに生まれて初めて自分の手で金を稼いだ満足感はなにものにも変えがたいものだった。

夏休みのある日、私は母から思いがけない話を聞かされた。私の出生にまつわる出来事だ。それによると、私は双子の一人だったそうである。私は先に生まれたが、あとから生まれてくる筈の兄が中々出てこず、死産だったそうである。ショックだった。兄は”妙玄水子”と名づけられ、私は朝晩冥福を祈っている。兄と二人分の命までも生きよう、それが私に与えられたさだめだと思うからである。合掌。

こうして大学一年の夏休みはあっと言う間に過ぎ去り、私は東京に戻り、新学期が始まった。勉学にもいそしんだが、部室で映画論を戦わせたり、映画を見に行ったりする毎日だった。夜ともなると酒瓶を提げてやってくるMurakamiさんの相手もたまにはしなければならなかった。

六大学野球秋のリーグ戦を見に行ったのは、確かこの年だ。明治対立教、明立戦だった。神宮球場に入ったのも初めてのことだ。お目当ては長島のホームランだけだったように記憶している。長島は私と同年生まれ、誕生日は2月20日なので、彼はこのときはもう2年生だった。期待したホームランは出なかったと思う。勝敗は・・・忘れた。

10月に入ると文化祭の時期になり、初年兵ならぬ一年生は準備に追われる毎日だった。明大では駿河台本校で実施するのを文化祭と呼び、和泉校舎は和泉祭であった。

 映研のテーマは「独立プロダクションの現状」と題して、にんじんくらぶはじめ、いろんなプロダクションの現況を取り上げたものだった。原稿はMiyataさんの独断場、書き上げた原稿を大きな紙に書くのはYosozakiさんと私の役目であった。

Photo_2

一年生は手分けして各映画会社の宣伝部を回り、スチール写真やポスターの借り出しに精を出す。文化部の各部に教室が割当てられ、前日は遅くまで飾りつけに大童。ああでもない、こうでもないと議論しながら夜中までかかったのを覚えている。当日は観客の誘導で、これも新入部員が交代で当たった。

二日間の和泉祭が終わると反省会だ。あまり一般受けしないテーマだったので、観客動員数は期待していなかったが、二日間閑古鳥が鳴き続けたのにはがっかりだった。その代わり卒業生の先輩や本校の先輩連中からは内容が良かったとお褒めに預かったのである。

  やがて期末試験の時期が来て、それが終わると冬休みに入った。

 昭和31年(1956年)の正月、私は久しぶりに倉敷の社宅を訪れた。S子ちゃんが帰っていると小耳に挟んで会いたくなったからだ。彼女も高校3年生になっており、すっかり大人びていた。ミッション系の大学へ進学するつもりで、受験勉強に追われる毎日ということで、話題はもっぱら大学のことや、試験の話ばかりに終始した。子供の頃の話が出ることはほとんどなく幾分がっかりして家を辞去したのを覚えている。

 冬休みが終わり、学校に戻ると映研恒例のベスト・テン選別が待っていた。昭和30年に封切られた邦・洋画の中から部員全員の投票で選出する。これは楽しみだった。邦画のベスト・ワン作品は豊田四郎の「夫婦善哉」、洋画はエリア・カザンの「エデンの東」となった。

1月の中頃、私は映研の仲間4人(O,U,S,Y君)と大映東京撮影所へ見学に行った。京王線の京王多摩川駅で下車すると、ホームから撮影所の構内が見えた。正面守衛所に寄り製作部の大岡さんを呼ぶと迎えに来てくれ、私たちは製作部の部屋に入った。建物は古く床は板張りで歩くとギシギシ鳴った。大黒板には現在撮影中の各組の予定が書かれている。大岡さんは進行主任で中年の温厚そうな人だ。今は佐伯組を担当している。課長らしい人に何事か云うと、私たちの処へ戻って来て云った。「それじゃぁ、行こうか。」

私たちはキョロキョロしながら、大岡さんの後をついて歩いた。道々立ち止まって説明をしてくれる。オープン・セット、アフレコ・ルーム、試写室、ダビング・ルーム、効果室、特撮ステージ。みんな熱心に説明を聞いている。時折、ふん装した女優さんや役者さんに出会う。O君は大岡さんを質問攻めにしていた。私は、映画って本当に総合芸術だなと思いながら歩いていた。

丁度、食堂の前を通りかかったとき、「みんな喉が渇いたろう。少し休んで行こうか。」大岡さんが云って食堂に入った。休憩中の俳優さんの姿もあったが、スターの顔は見当たらなかった。注文してくれたコーヒーを飲みながら私たちは語らいを続けた。「これから撮影中のセットを見学にいくから、静かにして見てくれ。」と大岡さんが注意した。

セットはクランク・インして間もない佐伯組の『薔薇の絋道館』。監督佐伯幸三、主演は菅原謙二、若尾文子、山本富士子である。私たちがステージ前に着いたとき、艶やかな芸者姿の山本富士子さんがにこやかな顔をしながらやって来た。息を呑むような美しさとはこの事を言うのだろうか。私たちは全員無言で見とれていた。後年、その私が仕事で山本邸を訪れることになろうとは勿論、その時は夢にも思わなかったものだ。「お富士さんの出番にかち合うとは、君たち、運がいいよ。」大岡さんが笑いながら云った。

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セットの中は明るかった。監督は富士子さんのそばで、演技を付けていた。路地のセットが組まれ、向こうからやって来た富士子さんが家を見上げて中へ入っていく、そんな場面だ。数回テストが繰り返され、本番である。「用意、スタート!」張りのある声が響き、カチンコの音が鳴ると、カメラがクイーンという軽やかな音を立てて廻り始める。富士子さんの姿が家の中に消える。瞬間、「カット!OK。」監督の一声で騒音が戻る。

ステージを後にして出口に向かう私たちに、大岡さんが云った。「君たち、バイトに来ないか。ロケの時だけだけど、手が足りないんだ。二人でいいんだが、頼めるかな。」私は大喜びで即座にOKをした。撮影の現場を知る良い機会と思ったからだ。あと一人はO君に決まった。

数日後の午前七時、私とO君の二人は大映撮影所の門をくぐった。雨が降るとロケは中止だと言われていたが、空は気持ちのいい上天気だ。製作部に顔を出すと私たちを見つけた大岡さんが、「朝飯まだだろう。食って来いよ。」と云って食券を渡してくれ、私とO君は一緒に食堂へ行き佐伯組のスタッフたちと朝食をパクついた。

七時半、ロケ隊は出発した。私たちの乗った大映バスは青梅街道を抜け、山手の方に進んで行く。バスの中は賑やかだった。大部屋の絡みの連中の話している声が聞こえてくる。「お前、今日は水の中へ飛び込むんだろ、寒いからカゼ引くなよ。」「でも、その方がいいぜ。割り増し手当てが貰えるんだからよ。俺なんか菅原さんに地面に叩きつけられるんだからな。痛いぜ、こいつは。」「監督に水の中へ放り投げてくれって頼んだらどうだ。ザブーンってよ。」「馬鹿ぬかせ。それは面白いって言われて、もし採用されたらどうすんだ。嫌だよ、俺は。」やがてバスはロケ現場に着いた。時間は9時である。

幅10m位の川が流れ、木の橋が架かっている。橋には欄干はなく水面から4、5mの高さで、幅は3mあるかなしだ。カメラポジションが決まり、早速テストがはじまった。菅原謙二扮する姿三四郎が対立する丹心館一味に襲われ、投げつけるという場面だ。私はO君と河原に置いたドラム缶に薪を入れて火を燃やしにかかった。風向きでカメラの方に煙が行かないようにしなければならず、二人とも必死だった。

「本番!」の声がかかった。監督の「よーい、スタート」でカメラが回りはじめる。「やっ!」「とう!」鋭い気合がほとばしり、橋から暴漢が二人、三人と水音高く落ちてくる。「カット!OK。」川に落ちた連中が「寒い、寒い」と言いながら火の傍へ寄って来る。「ありがとよ。生き返ったぜ。」年嵩の一人がそう云ってくれた。何気ない一言だが、とても嬉しかった。昼食になり、私たちはロケ弁を配って歩いた。それから三四郎が人力車を引いて橋を渡るシーンの撮影が行われ撮影は終わった。

数日後、今度は夜間ロケ、場所は神田明神。三四郎が長い階段を駆け上り、一人でトレーニングする場面である。午後八時、撮影所を出発、現場到着は九時。最初はロングショットで、照明部さんはライトのセッティングで大変だ。階段が明るく照らし出された時は感動した。真っ暗な闇に階段だけがポッと浮かび出たようだ。私たちは離れた火の傍で、スタッフに寒い思いをさせないように薪をくべた。テスト中はスタッフが交代で暖を取りに来る。本番のカメラが回ったのは深夜だった。真冬の深夜ロケの思い出である。

二月に入ると映研和泉支部の納会が渋谷の中華料理屋で行われた。良く飲み、よく食べたが、あまり楽しい納会とは云えなかった。MIiyataさん、Matubaさんから徹底的に絞られたからである。Miyataさんの後を引き継いで和泉支部の委員長をやることに決まっている私には特に風当たりが強かった。もっと自分を鍛えろという愛の鉄拳だったように思う。

≪見ておきたい名画≫

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エデンの東

青年はさまよい続ける・・・父との和解の道を求めて

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慕情

全世界の女性の涙をしぼった悲恋物語

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グレン・ミラー物語

美しい夫婦愛を描いた伝記映画

Photo_8 ジューン・アリスン、この人は私の大好きな女優さんの一人だ。惜しくも天界へと旅立たれた。残念である。

グレン・ミラー物語は観た回数から云えば50回はゆうに超えている。全てのショットが頭のフィルムに焼き付けられているかのようである。

ラストシーン、「茶色の小瓶」の音楽を聞きながら、グレンが贈ってくれた”茶色の小瓶”を手に取り、頬を摺り寄せる場面になると、私の目から涙がこぼれ落ちる。涙腺が緩みっぱなしになってしまうのだ。まさに夫婦愛の極致だろうか。この映画、未見の人はぜひ観てほしい。

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下宿いろいろ渡り鳥  大学時代

          大学時代 (その3)

 私が2年生になった春、Murakamiさんは下宿を出た。今度は高円寺のアパートで自炊をすると言う。一緒に行かないかと誘われたが、私は通学が不便なので断った。Murakamiさんの後には代わりの学生が入ってきた。その人は余程付き合いが苦手らしく顔を合わせても挨拶するだけだった。

そろそろここともお別れかなと思い始めた或る日曜日、Kabumotoさんが突然姿を見せた。「あの人、今、病気で寝込んでるの、もう1週間になるんだけど。あなたに会いたいから呼んで来いって云うのよ。お願い、行って上げてくれない?」と訝る私に彼女は云った。

 代田橋駅から新宿に出て、中央線で高円寺に向かう。車中で彼の容態を聞いたが、それ程心配するほどのことはなく、ひとまず安心した。商店街を抜け、しばらく行くと住宅街にアパートはあった。

 部屋に入ると「よう、来てくれたのか。」と嬉しそうに寝床から起き上がった。「早く元気になんなよ。色男が台無しだぜ。」無精ひげを生やしたMurakamiさんは幾分憔悴した様子だ。「色男、金も力も無かりけりさ。もう直ぐ良くなるから、直ったら飲みに行こうぜ。約束しろよ、な。」私は頷いた。「早く良くなって貰わないと、わたしも看病に来るのが大変。母に毎日出かける言い訳を考えなきゃならないんだから。まるで通い妻みたい。」彼女が笑いながら云った。

 Photo_3「おい、何か買って来いよ。久しぶりに一緒にメシを食おうぜ。」「あら、いけない、さっき商店街で買ってくればよかった。ゆっくりしてらしてね。」彼女は出かけて行った。

「Murakamiさん、彼女と結婚するんだろ。儀式はもう済んだのか。」と私は尋ねた。「馬鹿野郎、大切な物は最後まで取っとくもんだ。でもベーゼ位はしてるぜ。」彼は答えた。私はMurakamiさんの人柄が好ましく思えた。

 程なく彼女は買物袋を両手に抱えて帰ってきた。「今日は腕によりをかけてご馳走を作るわ。食べて行ってね。」「酒は買ってきたか。」「駄目よ、お酒はまだ駄目。」私は微笑みながら二人の遣り取りを聞いていた。

 一月ほどして私は井口さんの下宿を出て、芦花公園の賄い付きの家に世話になった。ここは部屋代も安かったが、納豆が二日にあげず出てくるのには参った。味噌汁の美味かったのが救いだ。それに時々出る鯨の天麩羅、たまに出る鯨肉のステーキ、友達こそできなかったが、人の良い小母さんと料理に満足して半年は居たように思う。.

 Photo_8 2年生の年は大過なく過ごせたようだ。この年の親睦旅行は那須高原へ出かけた。幹事役ともなれば神経ばかり使わせられた。食事時間も音頭とりに熱演したが、みんなひたすら食うのに夢中とは・・・・・。

 鯨で思い出すのだが、当時、新宿西口から5分ほどの所にめしやが5,6軒並んでいた。中央線のガード下で西口と東口を結ぶ通路になっていて、私はよく利用したものだ。表を通ると鯨の天麩羅を揚げている旨そうな匂いが漂い、引き込まれるように中へ入った。鯨料理専門の店である。ここで食った鯨カツや鯨の天麩羅の味は未だに忘れられない。思い出す度に舌が恋しがる。

それから二軒ほど渡り歩いた挙句、西荻窪の森さんの家にお世話になった。丁度三年になったばかりの頃で、下宿屋には見えない二階家の佇まいが気に入って決めることにした。

 森さんはS電機に勤めるサラリーマンで、奥さんと奥さんの妹さんの3人暮らし。それと法政4年のK・Gさんという先住の下宿人がいた。K・Gさんは台所横の四畳半の部屋で、私は廊下を挟んだ六畳の部屋に入れて貰った。台所は奥さんと共用で自炊である。

 毎朝、森さんの愛犬ペケ君の見送りを受けて出かける。家から西荻窪の駅までは歩いて15分。結構遠かったが、何時の間にか慣れてしまった。西荻から中央線でお茶の水まで一直線だ。駅に降りると明大本校までは五分だった。

                                        

 森さんのお宅では家族同様の扱いをして貰った。慣れない手つきで食事の用意をしていると、奥さんが見かねて手伝って下さることも度々だった。嬉しかったのは味噌汁や豚汁をご馳走してくれたり、自家製の漬物をいつも分けて下さったことだ。おかげで我が家にいるような気分だった。

 後になって聞いたが、奥さんの妹さんはK・Gさんと結婚し、子供も出来て仲睦まじく暮らして居るとの事、森さんご夫妻も老いて益々お元気で今だに御賀状を頂いている。何時までもお達者でいて欲しいと心から思っている。

≪見ておきたい名画≫

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王様と私

踊る 踊る 王様が踊る!!

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旅情

恋の歓びと戸惑い・・・恋愛映画の秀作

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裏窓

あの部屋には何かがある。ヒッチコックならではの一級サスペンス

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ちょいとこちらに控えしは・・・・・ 大学時代

          大学時代 (その4) 

 昭和32年(1957年)、三年生になって本校に行くようになると、部室も地下のモグラ横丁に変わった。鉄筋コンクリートの建物で夏はともかく、冬場は寒かったのを覚えている。相変わらず四年のMiyata、Matuba両先輩に厳しく仕込まれ、グーの音も出なくなることも度々であった。

 一度、日活撮影所に勤める大先輩のImadoさんが、合評会に姿を見せてくれたことがある。Imadoさんにかかるとさすがの4年生も形無しで、格の違いを思い知らされた。「駄目だな、今の映研は。もっと本を読め、本を。一日1冊読んでも年に365冊しか読めんのだ。俺は今でも2日に1冊は読むようにしてる。頑張りなよ、君たち」。私は何と凄い人なんだと思いながらImadoさんの話を聞いていた。

6月には並木座支配人の佐藤氏を部室に招き、「映画と観客」のテーマのもと研究会を開催した。質問には丁寧に答えて下さったのが印象的だった。Photo_7 

 秋になると文化祭の季節だ。映研は『戦争映画の功罪』のタイトルで参加した。私は実行委員長をMiyata先輩に任命され、イタリアン・ネオリアリズムの傑作『無防備都市』、『最前線』『渡洋爆撃隊』『硫黄島の砂』『攻撃』『雲流れる果てに』などの作品を取り上げ解説を必死で書き、借りてきたスチール写真やポスターを張り出したりで準備に大童だ。当日、外人さんまで入ってきたのには驚いた。

Sonoda君が英語で説明するの大きく頷く。本当に理解したのかどうかは分からない。後でSonoda君に聞いたが、本人も良く分からないと言う返事だった。私には思いがけずMurakamiさんがKabumotoさんを伴って来てくれたのが嬉しかった。             Photo_6 

 映研では年二回合宿旅行を実施する。6月の伊香保温泉に続いて10月には伊豆方面に合宿旅行した。2回とも旅行委員長を命じられ、スケジュールから旅館の交渉、その他どんなこともやらねばならないが、カツドウヤの製作進行になったつもりでやればなんでもなかった。

合宿と言っても特に変わったことをする訳ではない。要は参加者全員が楽しめば良いのである。とは云うものの、気を使うこと夥しいものがあった。特に女子部員が増えたこともあり、男ばかりの兄弟の中で育った私は特に女性の扱いに神経を使ったものだ。

 酒席ではもっぱら手を叩いて歌を唄うのが常だった。今のようにカラオケのある時代ではない。誰かが歌いだすとそれに和して全員で唄う。お酒呑むな 酒呑むなのご意見なれど ヨイヨイ~トコねえさん酒もってこいの『ヤットン節』は定番の歌だった。他にも決まって飛び出す歌があった。『お富さん』大先輩古賀政男の『酒は涙か溜息か』『男の純情』『トンコ節』などである。

滅多に歌など唄ったことの無いTaniguchi君が「丹波篠山やまがの猿が・・・」と故郷の民謡を歌いだす途端、「イヨッ、いいぞ、山猿!」とMiyataさんから強烈な野次が飛んだ。みんな大爆笑だった。この頃の学生は誰でも10曲程度の歌はそらで覚えていたように思う。

 昭和33年(1958年)、Miyataさんの後を継いで映研の委員長になった。6月、定例の春季合宿旅行で上信越方面に行ったことがある。総勢20数名の大部隊で、女子部員も4名参加した。今度こそ旅行委員長は免れ、三年のSudou君におはちを回したが、旅行中は何かと世話を焼かねばならなかった。

 酒宴になり校歌斉唱の後、誰とも無く云い出した。「何か変わったことをやろうぜ。いつも歌だけじゃ面白くねえ。」「自己紹介をやったらどうだろう。それも時代劇のやくざ風に仁義を切って。」「面白え。やろう、やろう。」衆議一決、たちどころに決まった。「トップ・バッターは誰だ?」「勿論、委員長、副委員長の順番だ。」私は止む無く立ち上がった。誰かが棍棒を下げてきて、「これは長脇差だ。何も持たねえとサマになんねえだろ。」と渡してくれた。

 Photo_8 私はみんなの正面に棍棒を下げて立ち、仁義を切る構えに入った。「お控えなすって、お控えなすって、映研一家のみなさん、早速のお控え有難うさんにござんす。手前、生国と発しまするは、備前岡山です。高梁川の清き流れで産湯を使い、長じては西から浪速の里まで転々と歩き、歩きつかれて明治一家の世話になっておりやす大西と申すケチな野郎でござんす。以後お見知りおきくださいまして、よろしゅうお頼み申しやす。」と、一気に言ってのけた。

 「腰を落とし過ぎてしゃがみ過ぎだぜ、へっぽこ仁義!」と早速、野次が来たが、それでも拍手喝さいだった。続くSonoda君は東京下町そだち、チャキチャキの江戸っ子だ。「わたくし生まれも育ちも隅田川のほとり、長じては神田で・・・」「どうした、神田で寿司食ったか?」すかさず野次が飛ぶ。一堂、大爆笑である。Sonoda君、落ち着いて「神田で寿司を食い、明治一家にお世話になったSonodaと言う者です、以後よろしく。」

 三番目はTaniguchi君だ。「待ってました、山猿君!」と声がかかる。「あっしは丹波篠山の生まれで、何処を見ても山ばかり、猪やお猿を相手に・・・」すかさず「相撲を取ったのか!」と野次。

女子部員は笑い転げ、余りの騒がしさに覗きに来た仲居さんまで身をよじって笑っている。「大きくなってからは、映画館を転々としながら映画界を目指そうと心ざし、映研一家に世話になりやした。」さすがTaniguchi君の仁義を切る姿勢は堂に入っていた。上手い奴も結構いたが、名調子だったのに途中で台詞を忘れる奴がいたりして又また大笑いとなったり、野次の方が大受けだったような楽しさ一杯で全員の自己紹介が済み、宴は終わった。

≪見ておきたい名画≫

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熱いトタン屋根の猫

遺産相続をめぐる人間模様ーー夫婦愛 親子愛の再生は??

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スミス都へ行く

20時間を越える壮絶な演説! 青年の熱意が人の心を動かす

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荒野の決闘

クラントン一家との激烈な闘いは・・・

映研最後の年、1958年度ベスト・スリーを上げておこう。
    邦画           洋画
1  巨人と玩具        1 眼には眼を
2  楢山節考          2 戦争と貞操
3 赤い陣羽織        3 死刑台のエレベーター

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どこにいけばいいのか? 就職戦線 大学時代

               大学時代 (その5)

 Photo_11 昭和33年(1958年)夏、私はTaniguchi君、Takami君らと日活撮影所見学に出かけた。Imado先輩の案内でセット見学やオープンセットを見ることができた。「幕末太陽伝」のセットがまだ取り壊されず、そのまま残っていた。来年の就職は出来ることなら撮影所に入りたいと思っていた私は先輩にもお願いすることを忘れなかった。

「幕末太陽伝」オープン跡

中央Imado氏と

 昭和34年(1959年)いよいよ明治大学卒業の年を迎えたが、私の就職先はまだ決まっていなかった。映画界を希望する私は、東映の助監督試験を受けたが見事に落ち、東京放送テレビ(TBS),東京教育テレビと受けたがこれも失敗、矛先を変えて受験した『女性自身(創刊準備中)』の光文社にも二次試験の面接で落とされ、内定の通知を貰ったのは出版社の双葉社と東京トヨペットの2社だ。時代小説がウリの双葉社か、車のセールスマンを取るかで私は悩んでいた。

 日活撮影所のImado先輩から電話があったのは、そんな時だった。撮影所に入りたいのなら丁度仕事がある、どんな仕事でも良ければ世話をしてやると言う。私は思わず、「やります、やらせて下さい。」と答えていた。

 翌日、私は日活撮影所に向かった。当時はまだ杉並区松庵の森さん宅に下宿しており、西荻窪に出て中央線にのり新宿で京王線に乗り換える。そして布田駅で降りるのだ。駅から南へ2キロ歩く。その頃は未舗装の道で、民家は無く一面の畑で多摩川の堤防沿いに東洋一の日活撮影所はあった。
撮影所の門を入り、製作部と書かれた扉を開けるとImado先輩の姿が見えた。撮影所には明大映研出身の先輩が三人いる。製作部事務のImado先輩、製作部次長のS先輩、それと製作主任のU先輩である。みんな良い人だった。Imado先輩に食堂へ連れて行かれた私はそこで仕事の説明を受けた。

                                                                                       J0431323
 仕事は音楽事務で、作曲家の助手という役割であった。音楽事務といってもデスクワークではない。れっきとした現場の仕事だ。
「仕事はそんなに難しいもんじゃない。最初は見習いで仕事をしながら覚えていけば、すぐに慣れるさ。今、山崎組をやっているMiyaちゃんを紹介しておくから、そいつに何でも聞きな。それとストップウオッチのいいのを買うんだ。大事な商売道具だからな。」
Imado先輩はそう云って席を立つと、Miyaさんを連れてきた。Miyaさんは30歳ぐらいの髪をオールバックにした男性だ。
「Miyaちゃん、こいつは俺の後輩だ。しっかり面倒見てやってくれよな。」
「よろしくお願いします。」と私は丁重に頭を下げた。
「そんなに堅苦しくならなくてもいいよ。忙しいのは音楽ダビングとプレスコのときくらいのもので、あとはヒマ、気楽な仕事だよ。」とMiyaさんが云う。
「気楽にやってんのはお前だろうが。もっと真面目にやれや。」
Imado先輩が言うとMiyaさんが噛み付いた。
「真面目一辺倒だぜ。もっと仕事をよこしな、長編物をよ、添え物映画のSPばかりじゃないか。」
「そう云うな、そのうちな」
Imado先輩は逃げ出して行った。
「チェッ、あれだからな、お前さんの先輩は・・・。それよりいつから出て来る、来週からにしろよ、丁度山崎組の音楽ラッシュを月曜に組んでるから。」私はMiyaさんが云うのに頷いた。

 食堂を後にした私はMiyaさんに連れられて、製作部、録音部、プロデューサー室、編集部、助監督部、記録部と回って挨拶に歩いた。これから映画の現場に入るのだ、そう思うと私の胸は高鳴った。昭和34年(1959年)3月中旬のことだった。
≪見ておきたい名画≫
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北北西に進路を取れ
他人に間違えられ 命を狙われるヒッチ・サスペンス大作
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南太平洋
ミッチーが歌い踊る魅惑のミュージカル傑作
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十戒
ハリウッドの帝王が描いたスペクタクル史劇の最高峰
≪見ておきたい邦画≫
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太陽の季節
社会的反響を呼んだ”太陽族映画”の決定版
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幕末太陽伝
鬼才”川島”が初めて挑んだ時代劇 裕ちゃんの高杉晋作が見もの

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いざ 日活撮影所へ GO!! 撮影所時代

                 第6景 撮影所時代 (その1)

 3月中旬、私は希望に燃えて日活撮影所の門をくぐった。山崎組の音楽ラッシュは午後2時からでラッシュの後、音楽打ち合わせの予定が組まれていた。題名は『JA750号機行方不明』、監督はこれが昇進第一作である山崎徳次郎、編集は鈴木晄、録音八木多木之助、音楽奥村一、主演は待田京介と稲垣美穂子。上映時間は約1時間、この手の作品はSP(ショート・ピクチャー)と呼ばれ、長編物の添え物作品に位置付けされていた。

作曲家の奥村さんがやって来ると、早速Miyaさんが紹介してくれた。
「ヒーコー行きませんか、ヒーコー」いきなり奥村さんに云われて私は面食らった。
「コーヒーのことだよ。楽隊屋の言葉を早くマスターしろよな。」
Miyaさんが私の背中をどつきながら云った。バンドマンの使う言葉は逆さ言葉だ。飯に行くことをシーメに行こうと云ったり、女性のことをナオンちゃんと云う。

 三人揃って食堂に行き、歓談していると録音技師の八木さんが同席した。眼鏡をかけた温厚そうな人である。2時前になるとMiyaさんが云った。
「大西君、悪いけどマイクで放送して来てくれ。只今から音楽ラッシュを始めます、関係者の皆様は試写室にお入り下さいって。マイクの場所は電話交換室の横だ。二回繰り返して放送するんだぜ。」
私は大急ぎでマイクの前に行き、放送した。

J0399275 試写室に入るとMiyaさんと奥村さんは最後部の席に座っていた。小机が置いてあり、手元を照らす電気が点くようになっている。Miyaさんは台本を開いてストップウォッチを置き、早くもスタンバイの構えだ。
「お前、中々いい声してるな、惚れ惚れするぜ。これからずっと放送のときは頼んだぜ。」Miyaさんが笑いながら声を掛けてくれた。スタッフが続々と入って来る。最後にプロデューサーの芦田さんが入ると映写が始まった。

ラッシュを見るのは新鮮だった。音楽は勿論、効果音も入っていない。監督が時々編集の鈴木さんに相談している。待田京介の役は新聞記者、それも特ダネばかりを狙っている記者で、永井智雄の先輩記者に注意される。だが、云うことを聞こうとせず、反抗的な態度を見せ、恋仲である永井の娘(稲垣)とも険悪になる。

そんな時、山中で飛行機が墜落し行方不明になったという噂を耳にし、これは特ダネになるとばかり待田はオートバイを素っ飛ばして行く。雪渓を歩きながら飛行機を探していた待田は岩陰に永井の姿を見かける。二人は競い合うように探し歩いた。焦った待田は雪に足を取られて谷底へ転落、気を失う。やがて彼は懸命に介抱してくれる永井に気付く。両脚骨折の重傷だ。永井は『行方不明機発見』の紙切れを鳩に持たせて空へ放った。そして救援隊が到着、担架に乗せられた待田に永井は現場写真と記事をそっと握らせ、「これは君の手で発表してくれ」と云うのだった・・・。

待田京介は目に特徴がある精悍な役者と思った。一方の稲垣美穂子は清純派女優として売り出した女優さんだが、さすがにその美しさは光っていた。

音楽ラッシュが終わり、場所を監督室に移して音楽打合せが始まった。監督の山崎さんは小太りで黒いサングラスをかけた人だ。後はチーフ助監督の中島さん、編集の鈴木さん、録音の八木さん、記録の女性、それに奥村さん、Miyaさん、私の三人だ。

最初の日活マークからタイトル終わりまでがM-1,次がM-2という具合にエンディングまで台本に印しを付けていく。全部でM-25位だったと思う。一時間ほどで打合せは終わった。3日後にオールラッシュ、1日空けて音楽ダビング(MDB)、翌日はフィルムダビング(FDB)である。これから忙しくなるな、と私は思った。

音楽ダビング(MDB)の日が来た。私はMiyaさんから午前8時前に渋谷東映前に来るように厳命されていた。渋谷の宮益坂の辺りに渋谷東映はあった。10分前に行くと、もう日活バスが止まっていた。そこはバスを停めておくには丁度よいところだなと私は思った。バスの横にMiyaさんが立っている。

「次からこの役は君の仕事だぜ、俺は途中で乗っけて貰うことにするよ。」
とMiyaさんは私の顔を見るや云った。バンドの人たちが楽器を抱えて次々にバスに乗り込む。「メンバーが集まったら、すぐにバスを出すんだ。遅くとも8時15分には発車させろ。9時の開始に間に合わなくなるからな。時は金なりだよ。」Miyaさんは云った。

8時15分きっかりバスは発車した。三軒茶屋を抜け、東宝撮影所前の道から和泉多摩川へ、そこから多摩川沿いに走って日活撮影所のダビングルーム前に着いた。9時5分前である。
「大西君、早くマイクするんだ。山崎組、只今から音楽ダビングを開始しますって。」
私はマイクの前に走って行った。

ダビングルームに入ると、左が録音部さんの部屋、右がテープの管理室、奥まった通路中央には分厚い防音扉があり、扉を開けると楽器の音がこぼれ出して来た。バンドの人たちは椅子に坐り、音合わせに余念がない。大きなガラス窓の向こう(通称金魚鉢)には監督はじめスタッフがソファに腰を下ろし、録音技師の八木さんは機械の調整をしている。奥村さんが一段高い指揮台の上に立ち、譜面を調べている。

Sikidai

「M-1、テスト始めます!」
とMiyaさんが叫ぶと音が静まった。奥村さんが指揮棒を構え、静かに振り下ろすと樂の音が部屋いっぱいに拡がって行く。録音のチーフがマイクの位置を調整している。タイトルバックの音楽だ。私は初めて見る録音風景に陶然としていた。

「M-1、本番行きます!映写部さん、スタート!」
Miyaさんの声が高く響いた。指揮台の横手に置かれたシネスコスクリーンに画が映りだす。リーダーの部分にパンチが打たれている。1,2,3、で奥村さんが指揮棒を振り下ろすと、音楽と画面がぴったりシンクロして流れはじめる。タイトルが終わると同時に曲も終わった。八木さんが手で○を作る。
「OKです。続いてM-2、行きます。」
緊張が解け、しばしのざわめきがする。こうして昼までにM10まで録り終えた。

「大西君、製作主任さんに人数分だけ食券を貰って来てくれ。」
Miyaさんに云われた私は製作部へ行き、製作主任さんから食券を受け取りダビングルームへ戻った。そしてそれをメンバーに一人ずつ手渡す。中には手を振っていらないという人もいる。結局5人ほど受け取らなかった。

「余りは貰っておきな。返さなくっていいから、役得だよ。」
Miyaさんが云うので私は財布の中へ大事にしまいこんだ。これで食費が何日か助かる、そう思うと私は嬉しかった。

今日来た楽士の中に桧山さんと言う中年のドラマーがいた。「これからいろいろ世話になる人だから、紹介しとくわ。」Miyaさんは桧山さんを引き合わせてくれた。「人集めで困ることがあったら、何時でも云うといで。相談に乗るよ。」
ニコニコ顔で桧山さんは応えてくれた。
「よろしくお願いします」と私は頭を下げた。

 午後1時、音楽ダビングが再開された。三時の休憩を挟んで夕方までには予定通り終了した。

 楽士さんたちの賃金は時間給で計算され、帰りに一人ずつ手渡される。4時頃になると斉藤さんという人が奥まった部屋でお金を皆の名前を書いた封筒にそれぞれ詰めているのを私は見ていた。楽士さんたちが楽器を手に送りのバスに乗り込み発車するのを見届け、私はMiyaさん、奥村さんと食堂でゆっくりコーヒーを飲んだ。何もしないで見ていただけなのに、私は心地よい疲れに浸っていた。

「どうだった?初めてのダビングは・・・・・感無量って顔だな。」
Imado先輩が笑いながら声を掛けてくれた。

 翌朝午前9時からフィルムダビング(FDB)だ。私とMiyaさんは音楽監督の代わりに最後まで付き合わなくてはならない。全部で10ロールほどで、1ロールごとにセリフ、音楽、効果音がミックスされる。監督と八木さんが話し合いながら、テストを繰り返す。開始からほぼ1時間経ってようやく「本番!」の声がかかった。午前中3ロール、午後はピッチが上がり夕方までに8ロールまで進んだ。

 夕食後、残りの2ロールである。山崎さんは粘り強くテストする。最後のロールが始まったのは8時を回っていた。クライマックスからエンディングまでのロールである。監督は飽きるほどテストを繰り返す。「OK、お疲れさん。」の声が出たのは10時に近かった。長かった1日がやっと終了した。後は明後日の完成試写を待つだけとなった。

 完成試写は初号試写とも云う。初号試写の前に監督はじめ主なスタッフが五反田の現像所で見るのがゼロ号試写で、プリントの焼具合の最終チェックをするのだ。

 そして初号試写の日が来た。本社から江守専務がやって来て撮影所長、製作部長、企画部長、宣伝部長、監督、プロデューサー、スタッフ、俳優さんらと試写を見る。終わると所長室で約30分間専務の講評がある。良ければ出てきた時の監督や撮影技師、美術監督、録音技師、照明技師の顔を見ていれば分かるという寸法だ。どうやら山崎監督は合格点を貰ったようだった。かくして私のタッチした最初の作品はつつがなく封切館へと送り出されたのである。

≪見ておきたい名作≫

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老人と海

「人間は負けない 破滅はするが負けはしない」 サメとの戦いは・・・

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愛情物語

名ピアニスト エディ・デューチンの波乱の生涯

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パリの恋人

”人生バラ色” お洒落なパリの夢物語

≪見ておきたい邦画≫

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夜の河

恋する女心の機微を描いたラブストーリーの名作

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夫婦善哉

軽妙な大阪弁でユーモアたっぷりに描かれる男女の哀歓!

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裕ちゃんは日活の”太陽”だった!! 撮影所時代

           撮影所時代 (その2)

 昭和34年(1959年)、私が日活撮影所に入ったとき裕ちゃんは既に『日活の守護神』だった。この年の興行収入ベストテンのうち、実に半分の5本を占めている。
作品名を挙げると、
Photo

『世界を賭ける恋』
『男が命を賭ける時』
『鉄火場の風』
『男なら夢を見ろ』
『天と地を駆ける男』
以上の5作品である。32年(1957年)の『嵐を呼ぶ男』の爆発的大ヒットを皮切りに瞬く間に傾きかけていた日活の屋台骨を立て直したのである。

 裕ちゃんは『今日に生きる』の撮影中だったが、大スターというよりも、むしろ自然児という印象の方が強かった。宣伝部の窓をトレードマークの長い足でまたいでヒョイと芝生に降り立つのを見て、何をやってもサマになるカッコイイ男と思った。一度、ダビングルームに用事があって入りかけた時、なんと中から裕ちゃんが出てくるではないか。私は思わず緊張して「お早うございます」と言い、戸を開けた。裕ちゃんは「オッス!ありがとよ。」と私を見てにっこり笑ってくれた。私は足早に立ち去る裕ちゃんの後姿を見送りながら、(なんと気取らないあったかな人なんだろう)と思い、一度で裕ちゃんが好きになった。

 山崎組はデビュー作からほとんど日を置くことなく2本目の作品、『拳銃0号』のクランクインをした。山崎さんは江守専務に余程気に入られたようである。音楽はジャズの三保敬太郎さん、録音は八木さん。主演は岡田真澄と南風夕子、というよりも拳銃が主人公で、人から人へ次々に渡り、最後には海へ捨てられるという作品。この作品で赤木圭一郎(通称トニー)がデビューした。他の出演者は待田京介、宍戸錠、川地民夫である。
                                                                                             Photo_2
 撮影中は山崎組のセットへはよく見学に入った。八木さんやチーフ助監督の中島さんとも親しくなった。ファンファン(岡田真澄さんのこと)とも仲良くなれたのは、この作品が機縁である。撮影が佳境に入った頃、音楽ラッシュ、音楽打合せが行われた。三保敬太郎さんはまだ若い人だが新進気鋭のモダンジャズ作曲家として売り出し中であった。よく笑う楽しい人だった。ダビングの演奏者は(猪俣猛とウエストライナーズ)というバンドのメンバーである。

 音楽ダビングの日が来た。バンドのメンバーは自前のバスでやって来た。坊や(バンドの手伝いをする若者のこと)たちが楽器を車から下ろしてダビングルームに運び込み、セットする。私は食堂で三保ちゃんとお茶を飲んでいるMiyaさんの傍へ行った。「そろそろ始めようよ。」三保さんが云うとMiyaさんも頷いた。「大西君、マイク頼む。要領はもう分かってるな。」
私は「はい、分かってます。」と答えてマイクの前に走った。

 MDBが開始された。三保ちゃんは指揮棒を使わず、両手を使って指揮を執る。手の動き一つで微妙な音の変化を出すのだ。私は感心して見つめていた。メンバーの中に原田さんというバリトンサックスの奏者がいた。この人の出す音は見事なものだった。当時、雪村さんとの仲を噂されていたものである。

Photo  バンマスの猪俣さんのドラムも又凄いパンチのある音だった。監督が時々金魚鉢を出て三保ちゃんに注文をつける。小休止になると、バンドの連中は控え室に入り、カーポー(ポーカー)を始める。やり出すと再開となってもすぐに出てこない。「全く困った奴等だな。さっさと出て来いって呼んできてよ。」三保ちゃんに云われて私は慌てて呼びに行った。それでも音楽ダビングは無事定時に終了した。

 翌日、FDBの日のことである。DBは順調に進み午後8時には最終ロールを迎えていた。拳銃を拾った川地民夫が稲垣美穂子との結婚を反対され自殺を企てる場面で、最後の熱烈なキスを交わす。テストで画面を見ていた録音助手の一人が突然素っ頓狂な声を上げた。「おい、糸を引いてるぜ。」二人がキスをしてそっと唇を離すとき、つばきが糸を引いているのが瞬間的に見える。「お熱いシーンにもってこいだな。」と中島さんが笑いながら云った。

 『拳銃0号』の初号試写も無事終了し、作品の出来も上々だったようだ。私は次なる作品井田組の『トップ屋取材帖 拳銃街一丁目』と『迫り来る危機』に入っていた。

2本ともトップ屋シリーズで、(監督)井田探、(音楽)奥村一、(録音)米津次男、(編集)鈴木晄のメンバーだった。監督は眼鏡をかけた人懐っこい好人物で、私にもよく声を掛けてくれた。井田さんは何でも来いの器用な監督でジャンルを問わずB、C級の作品でも見れる物に仕上げる才能をもっていたようだ。会社は重宝したらしく仕事の切れることがなかった。トップ屋シリーズは34年~35年にかけて6本作られ、私は全作品にタッチしている。音楽は2本目まで奥村さん、あとの4本は山本直純さんだった。

Photo_4  『拳銃街一丁目』のMDBの時、ヴァイオリンの黒柳さんという人が見えていた。銀髪で背の高いキリッとして、正に紳士を絵に描いたような人だった。私が「誰ですか?」と聞くと、Miyaさんは『徹子の部屋』の黒柳徹子のお父さんだと教えてくれた。ヴァイオリンを弾くときの姿勢まで見事にきまっていた。                    Photo_2

 この年の夏、撮影所から裕ちゃんの姿が消えた。北原三枝さんもいない。プロデューサー室を覗くと水の江滝子プロが必死に電話を掛け捲っていた。居場所がようとして掴めないのだ。

約3日、裕ちゃんは姿を現さなかった。2本立て体制のベルトコンベアーに有無を言わせず乗せられ、休む暇もなく働かされる。その疲れもあったのだろうか、それとも三枝さんとの結婚を頑として認めない会社に対するデモンストレーションも在ったかもしれない。裕ちゃんとは比すべきも無い私まで知らぬ間にコンベアーの部品となり、所内を駈けずり回っていたのだから。

トップ屋シリーズと平行するように「事件記者」シリーズも開始されPhoto_4た。これはNHK連続TVドラマの映画化作品だ。TVでお馴染みのメンバーに沢本忠雄、丘野美子、宍戸錠、内田良平らが加わり、社会部記者の特ダネスクープ合戦を繰り広げるというものだ。

59年~62年までに10本製作され、全編山崎徳次郎監督がメガフォンを取った。音楽監督は三保敬太郎さんオンリー。モダンジャズが作品によくマッチしていた。私も全て参加させていただいた。シリーズを通して山田吾一さんのすっとぼけた演技が印象的だ。

≪見ておきたい名画≫

日本が誇るヒーロー裕次郎DVD-BOX~ヒーローの軌跡~<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=choko8-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000JVRTIG&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

ピクニック

年に一度のピクニック 古きよきアメリカの人間模様

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スター誕生

ジュディ・ガーランドが演じたハリウッド・スターの光と影・・・

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波止場

名優マーロン・ブランドの出世作

≪見ておきたい邦画≫

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二十四の瞳

島の子供たちと女教師の愛の物語

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東京物語

小津ワールドの到達点を示した名作                

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どっちがどっち? ピーナッツの「可愛い花」

 ザ・ピーナッツ・オン・ステージ

永六輔・中村八大 傑作集★6輔+8大=14ヒット+α

      撮影所時代 (その3) 

井田さんの作品で、音楽は中村八大さん。ザ・ピーナッツ(伊藤エミ、ユミ)主演の歌謡映画だ。ファンファンこと岡田真澄の共演。『情熱の花』『可愛い花』と歌がヒットしたことで歌物の得意な茂木プロデューサーが早速企画した添え物映画である。
Photo
この作品で初めてプレスコなるものを体験した。プレスコと云うのは撮影前にカラオケを録り、そのあとカラオケにピーナッツが歌を乗せる。その後撮影現場で音を流し、オケと歌の芝居を撮影するのだ。いわゆる口パクというやつである。

ピーナッツがステージで歌うシーンは、さすがに決まっていた。二人の持ち歌だから当然のことだが、振りもバッチリだった。撮影の時には確か八大さんも見えていて、ステージの上でピーナッツにあれこれアドバイスしていたように思う。

喜劇物だけにファンファンも意識的に面白い演技をしていたようである。監督も乗りに乗って芝居をつけるものだから、時間のかかること夥しい。セットの中は笑いの連続だったように思う。

和気藹々とした雰囲気の中で撮影は進んだ。苦労していたのはピーナッツのスケジュールを組んでいる助監督で、時間内に撮影所からTV局まで送らねばならず、ワンカット毎に時間を気にしていた。

「ケツかっちんだから、気を揉ませるぜ、まったく・・・」セカンド助監督は大いにボヤいていたものだ。「ケツかっちん」というのは、終わりの時間が決められており、それに間に合うように撮影を終わらせる事を言う。人気者が出演する時は、大抵時間に追われるのがふつうだった。録音の中村さんも中々プレスコの音とうまく合わせるのに神経を使っていた。

カメラマン役の神戸瓢介という俳優がいた。彼は人を笑わせるのが得意で、撮影以外でも大いに我々を楽しませてくれたものである。
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ザ・ピーナッツ                                         Photo_2
当時の人気者だった平尾昌章もレコード会社のディレクター役で出演していた。それに白木マリ。彼女は後年TVの藤田まことの相手役で売り出したが、アクション物全盛の日活ではもっぱらストリッパーやボスの情婦役で使われていた。惜しい使い方をしたものと思う。

ピーナッツの二人はとても可愛かった。そばで見ていてもどっちが姉か妹か全く分からない。遂に撮影終了まで私には区別がつかなかった。無理も無い監督の井田さんまでしょっちゅう間違っていたのだから。

Photo_4
八大さんの音楽ダビングは音楽予算が少ない中で、そこそこのプレイヤーを呼び集めたつもりである。無理を言われるのでないかと心配していたが杞憂に終わった。「心配いらないよ。」と云ってくれていたが、その通りで有りがたかったのを覚えている。事件記者シリーズの三保ちゃんとはまた違う味のある音楽だった。

≪見ておきたい邦画≫

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炎上

信じるものを失った青年僧の魂の慟哭!

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狂った果実

石原裕次郎が主役デビューを果たした話題作

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七人の侍

世界中で賞賛された黒澤アクションの原点!!

≪見ておきたい名画≫

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麗しのサブリナ

粋でお洒落でコミカルなロマンティック・コメディの秀作

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ライムライト

老喜劇役者と若く美しいバレリーナの恋

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眼下の敵

第二次世界大戦下の駆逐艦とUボートの頭脳戦

ザ・ピーナッツ・オン・ステージ ザ・ピーナッツ・オン・ステージ

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 永六輔・中村八大 傑作集★6輔+8大=14ヒット+α 永六輔・中村八大 傑作集★6輔+8大=14ヒット+α
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元気はつらつ 小百合ちゃん登場!! 撮影所時代

吉永小百合映画歌謡曲~日活編~

吉永小百合

 

      撮影所時代 (その4)

(小百合ちゃん)こと吉永小百合が、日活の銀幕に初めて登場したのは1960年(昭和35年)で、日活デビュー作は鈴木清順監督の「すべてが狂ってる」だったと記憶している。奇しくもその作品に私はタッチさせてもらっていた。
Photo_6
小百合ちゃんの登場は鮮烈だった。元気一杯の明るい声で「お早うございます!」と挨拶する。所内の人間には差別なしだ。声を掛けてニコッと微笑まれては誰も悪い気がしない。忽ち人気者になった小百合ちゃんであった。当然、私も笑顔で声をかけられた一人だ。

明るい声と笑顔、後に日活女優陣の中の太陽として輝いた小百合ちゃんだったが、それはデビュー当時からの姿勢にあったと思う。それはスターになってからも変わらなかった。生きる上で笑顔に勝るものはない。それにしても小百合ちゃんの笑顔は天性のものであろうか、努力し続けて身につけたものだろうか。

右の写真は後年(1964年)、「若草物語」撮影中(と思う)、セットの入り口で出番待ちの間におPhoto_7 願いして撮らせていただいたショットである。心よく応じてくださったのを覚えている。

鈴木組の音楽はジャズの三保敬太郎と前田憲男の共同監督。主演はター坊こと川地民夫、小百合ちゃんは妹の典子役だったと思う。母子家庭に育った杉田次郎(川地)は、男のいる母(奈良岡朋子)に愛想をつかし毎日荒れた生活を送っていた。高校生不良グループに入って女の子を襲ったり、盗みを働く、盗んだ車で暴走するという暮らしだ。

次郎を愛している少女の敏美(禰津良子)の愛にも彼は応える気が無かった。母の男、南原(芦田伸介)は次郎に不順な気持ちで母と付き合っているんじゃないことを話そうとして、次郎の仲間悦子(中川姿子)に次郎が逗子海岸にいると聞き出かけていく。

だがそこで待っていたのは悦子で、彼女は南原を誘惑する。敏美から事情を聞いた次郎が母と海岸に来て、そこで下着姿の二人を発見。狂ったように南原を追う母に次郎は絶望、盗んだオープンカーで敏美と一緒に道路を疾駆する。

程なく南原を見つけた次郎はスパナで殴り倒し車を暴走させトラックに激突、次郎と敏美は死ぬ。狂って次郎を探す母の昌代を見て、誰かが呟いた。
「現代では、人間の間に善意の通じる場所がない。すべてが狂っているんだ」と。

これは今の時代にも通用するテーマであると同時に重い意味を持っている。次郎のような人間はいつの時代にもいるからだ。くれぐれも暴発しないでいて欲しい。

三保ちゃんと前田憲男のモダンジャズは次郎のやり場の無い倦怠感をよく表現していた。演奏はウエストライナーズである。

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三保敬太郎さんの音楽です

監督の鈴木清順さんとは初めてのお付き合いだったが、時にはスタッフに冗談を言って笑わせてくれる楽しい人だったように思う。日活の江守専務からは「訳の分からん写真を撮るやつ」とマークされていたようだが、私はそうも思わない。感性の違いといえばそれまでだが、初号試写のあとで相変わらず嫌味を言われたそうである。

小百合ちゃんは初めて出してもらったという程度で、可も無く不可もなくだったように思う。

≪見ておきたい邦画≫

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源氏物語

いま「源氏物語」から何を学ぶか?

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生きる

人はいかにして生きるべきか? 鬼才黒澤が世に問うた一作

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楢山節考

哀切きわまる”姥捨山”伝説は本当に存在する?

≪見ておきたい名画≫

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お熱いのがお好き

禁酒法時代のアメリカを舞台にした傑作コメディ

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鉄道員

家族の尊さが切々と胸に沁み入る 哀愁をおびた主題曲が大ヒット

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ベン・ハー

380kmに及ぶ膨大なフィルム 4時間に及ぶ壮大な史劇

Music 吉永小百合映画歌謡曲~日活編~

アーティスト:吉永小百合,浜田光夫,和田弘とマヒナスターズ,橋幸夫,山内賢,三田明,トニーズ,浅丘ルリ子,高峰三枝子,和泉雅子
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”エースの錠”さんは名投手?? 撮影所時代

日活映画音楽集 スタアシリーズ 宍戸錠

宍戸錠さん愛用!バッグを越える収納力!雨にも汗にも強いアウトドアの味方!トム・モリス 13ポケット多機能撥水ベスト(TOM-5000)

 

       撮影所時代 (その5)

 今年もペナントレースが始まった。折り返し点を過ぎてタイガースが独走の気配濃厚である。タイガースファンの私としては優勝が楽しみだ。いつまでもこの楽しみを忘れないでいたいものだ。

 それにしても昔の川上巨人の9連覇は凄かった。私は下宿の森さんのお宅で例年日本シリーズを見せて頂いた想い出がある。撮影所のスタッフ・キャストには圧倒的に巨人ファンが多かった。阪神ファンの私としては肩身が狭かったのを覚えている。

 ここ一番の大勝負の時には、撮影を一時中断して食堂のテレビの前に陣取る監督もいた。そのしわ寄せで撮影が夜遅くなることがあっても、誰からも文句は出なかった。むしろ話の分かる監督として評判はよかったようだ。

 野球の話となると思い出す。所内では私もよくキャッチボールをして遊んだ。相手は企画部の陶山ちゃんとプロデューサ室事務の中本君だ。二人とは同年輩とあってウマが合い、よく話をした。そんなことから所内で対抗の野球の試合をしたことが何度かあった。企画チームと俳優部の試合である。私も企画部・プロデュサー室合同チームの一員として参加させて貰った。
                                           
狛江小学校のグラウンドを借りて、或る日のこと試合が行われた。俳優と言ってもスターが出たわけではない。スタークラスは宍戸錠さんがピッチャーで投げたのを覚えている。あとは郷ちゃん、高品格さん、野呂ちゃんが出ていたと思う。企画チームはほとんど若手のプロデューサー助手で占めていた。さすが俳優部だけあって大部屋女優さんが5,6人応援に来て黄色い声を盛んに張り上げていた。賑やかなことこの上ない。
Picher
 錠さんが投げると中々良い球がきた。うまいものである。三振を取ると、エースの錠らしい仕草でガッツポーズをして見せた。企画チームの投手は陶山ちゃんだ。捕手は中本君が勤めた。彼のスピードボールは一級品だった。錠さんが打席に立った。声援がひときわ高くなる。私はサードを守っていたが、前の打席で強襲ヒットを打たれていただけに慎重に構えていた。錠さんが打った。今度は高々と上がった三塁線のフライだ。私が懸命にバックして倒れながら捕球するのを見て、錠さんはバットを叩きつけて悔しがった。
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試合は点数の取りっ子で一点差で俳優部の勝利となった。試合後、握手した錠さんの手は分厚くて温かかった。「ファインプレーだったな、ヒット一本損したぜ」 錠さんはそう云うと手にグッと力を入れた。みんなが彼のピッチングをほめると「いやぁ、それほどでもねえやな」と照れていた。私は錠さんの一面を見た思いだった。その後、缶ビールが配られ、グラウンドで飲んだビールの旨かったこと、忘れられない味である。

 所内対抗野球は何度かやったが、企画チームの成績は余り振るわなかったと思う。特に照明部や録音部相手では歯が立たなかったようだ。15-3とか、10-0とか屈辱的な大敗を喫したように思う。

≪見ておきたい邦画≫

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青春残酷物語

”夢なんかもっていない” 無軌道に突っ走る若者たち!

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おとうと

美しくも哀しい姉弟愛を描く

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悪い奴ほどよく眠る

政治汚職の仮面を剥げ!!

≪見ておきたい名画≫

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太陽がいっぱい

美貌の青年ドロンが演じた青春サスペンス 不朽の名作

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サイコ

異常心理スリラーの古典的名作

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武器よさらば

壮大なスケールで描く永遠の愛の讃歌

日活映画音楽集 スタアシリーズ 宍戸錠 日活映画音楽集 スタアシリーズ 宍戸錠

販売元:楽天ブックス
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日活の看板スター 裕ちゃんと親衛隊たち

        撮影所時代 (その6)

Photo_2 ビールを飲むと、と云っても私はほとんど飲まないのだが、思い出すことがある。何時頃そうなったのか知らないが日活撮影所の食堂は所長命令で酒類販売が禁止されていた。だが、ただ一人例外がいた。裕次郎である。昼食の時間になると、裕ちゃんのテーブルの前には必ずビール瓶とコップが置かれていた。

裕次郎人気は止まることを知らず、興行収入は群を抜いていた。潰れかけていた日活の救世主にビールを飲ませる位安いもんだと所長は思ったのだろう。裕ちゃんの周りには親衛隊のように幾人もの俳優が群がっていた。俳優部の小林正彦氏もその一人で、通称(こまさ)と呼ばれていた。後の石原プロの専務で裕ちゃんの補佐役に徹し切り、今もまき子夫人と渡社長を守り続けている大番頭だ。いかつい顔で声も大きかったのを覚えている。

話は戻るが裕ちゃんが飲んでいても、誰も一緒に飲んでいるのを見たことがない。裕ちゃんが勧めても手を振って断っていた。昼間から飲んでいい特権は、裕ちゃんだけのものと心得ていたのだろう。

裕ちゃんは歌の方ではテイチクの専属だったせいか中島ディレクターがよく撮影所に来てPhoto_3 いた。製作部のImado先輩と打ち合わせをしていたのを覚えている。滝田 順という作詞家の名前をご存知だろうか。これはImado先輩のペンネームだ。裕ちゃんの歌も「泣かせるぜ」「あじさいの歌」などを作っている。旭や錠さんの挿入歌も多数作って稼ぎまくっていた。先輩は仕事の合間にヒマをみては食堂でせっせと歌作りにいそがしかった。口さがない助監督や録音部さんが「印税がっぽりだろう」とImado先輩をからかっているのを、何度となく聞いたものだ。立場をうまく利用したと言えそうだが、やはり才能がなければモノには出来ない。
Kenka

先輩には才能の閃きもあったし、何人かの女優さんとの艶聞も聞こえてきた。撮影所はそういう話題には事欠かない場所でもある。監督と女優とのスキャンダルなどは日常茶飯事だった。週刊誌が作るネタもあれば、火の無い処に煙を立てることもある。ウソと思っていたら本当だったと言うこともあった。真実は神のみぞ知るだ。


ところで仕事上の先輩、Miyaさんが何時とはなく撮影所から姿を消していた。Imado先輩に聞いてみると、「あいつは放浪癖があるからな。どこか稼ぎの良い所をみつけたんじゃないか。」との返事。いろいろ教えてくれた人だけに残念で、下宿まで探しに行ったが、もぬけの殻、それっきりとなった。

≪見ておきたい邦画≫

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嵐を呼ぶ男

裕次郎人気を不動のものにした日活青春アクションの決定版

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名もなく貧しく美しく

ろうあ者同士の夫婦が助け合いながら激動の混乱期を生き抜いていく感動作

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笛吹川

戦乱の世に笛吹川河畔で支配者に翻弄されながら生き抜く百姓一家

≪見ておきたい名画≫

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チャップリンの独裁者

チャップリンがヒトラーの独裁政治を痛烈に風刺したコメディ

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戦場にかける橋

人間の名誉と誇りを賭け、闘いの火花を散らす男たち

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恋人たち

白昼夢を思わせる30分に及ぶラブシーンが見事

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挨拶の素敵な俳優さんは?!

        撮影所時代 (その7)

 挨拶のことは前にも一寸触れたが、挨拶するにも姿勢の大切さを教えてくれたのが、二谷英明さんと芦川いづみさんだ。二谷さんはエイメイさんと親しみを込めて呼ばれていた俳優さんだが、その姿勢たるや、まさに紳士であった。
Photo_4
「お早うございます」と通路やステージの出入り口で声を掛けると、必ず丁重に頭を下げて「お早うございます」と挨拶が返ってきた。私のような下っ端のスタッフに対してもである。これは本当に嬉しかった。まだ若い私でも一人前として認めてくれているという気がしたのだ。

女優さんの中で感心したのは芦川いづみさんだ。通路ですれ違うときでも、声を掛けると必ず立ち止まって微笑みを浮かべ「お早うございます」と挨拶してくれるのが常であった。
ほとんどの女優さんは「お早うございます」と声をかけても、ちょこっと頭を下げて通り過ぎるか、返事だけはしても立ち止まろうとはしなかった。いづみちゃんのような人は稀であろうか。挨拶に心がこもっていると感じたのは、いPhoto_5 づみちゃんと小百合ちゃん位だろう。                  

いづみちゃんは現在、俳優の藤 竜也氏の夫人として銀幕を引退されているが、幸せな家庭を営まれているようだ。長生きしていつまでもお幸せであって欲しいと願っている。

いづみちゃんは私にとって宝になる思い出の人だ。どんな宝かいずれ書きたいと思っている。

或る日のお昼休み、私は所内を散策していた。するとボールがコロコロ転がってきた。軟式のボールだ。見ると小百合ちゃんと衣装部の青年がキャッチボールをしている。受け損ねた小百合ちゃんが「おねがいしま~す」と云った。ボールを拾い上げた私は「行くよ!」と答えて山なりのボールを投げ返した。見事にグPhoto_6 ラブで受け取った彼女は「ストライク!」と叫んで、にっこり笑ってくれた。その笑顔の何とキュートだったことか。

まだ10代の頃の小百合ちゃんは活発な女の子だった。この当時は毎日のようにボール投げをしている二人の姿を見かけたものだ。昼休みの日課だったのかもしれない。他にスポーツをする施設も無かったからだろう。一時は撮影のための練習かとも思ったが、そうではなかった。余程、野球が好きだったのかも知れない。後にも先にもキャッチボールをしている女優さんなど小百合ちゃん以外にはお目にかからなかった。

≪見ておきたい邦画≫

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にあんちゃん

今村昌平初期の感動作!!

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蟹工船

戦前のプロレタリア作家、小林多喜二の代表作「蟹工船」。今なぜブーム??

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純愛物語

原爆症に侵された少女の純愛を描いた傑作

≪見ておきたい名画≫

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黄色いリボン

ジョン・フォード監督による騎兵隊3部作の逸品!

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第三の男

ミステリー映画の最高峰作品 男に目もくれず立ち去る女!

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紳士は金髪がお好き

モンローの艶やかな魅力溢れるミュージカル・コメディ

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監督に叱られた想い出の映画「やくざの詩」

            撮影所時代 (その8)

Yakuza 「やくざの詩」は1960年(昭和35年)製作作品。監督は舛田利雄、撮影 藤岡粂信、照明、藤林甲、美術、佐谷晃能、音楽 黛敏郎、録音 中村敏夫、編集 辻井正則。

出演は小林旭、芦川いづみ、南田洋子、二谷英明、垂水悟郎、和田浩治。

本作品は題名に似合わず、ヒューマニズムの薫り高い名作と云えるアクション映画だ。舛田組など本来私のタッチ出来る作品ではなかったのだが、担当者の中川さんから突然手伝ってくれと頼まれて、途中からお手伝いをさせて貰った次第である。

 クランク・アップを目前に控え、撮影は終盤の追い込みにかかっていた。スケジュールの都合で何と音楽ラッシュを深夜に行うことになった。確か時間は12時を回っていたと思う。

 黛さんにきていただいたのは12時前、だがラッシュは遅れること約1時間、黛さんは文句も言わず、待って下さった。ところが監督の所へ時間が遅れることを伝えに行くと、いきなり雷鳴が落ちてきた。「何をもたもたやってんだ!編集部へ行って早くしろって云って来い!!」
鬼の舛田で名高い監督が、私を叱る。何と理不尽なと思ったが、監督の命令を無視する訳にはいかない。鬼舛の声はドスが効き私はビビッた。

 編集部へ行き、辻井さんにその旨伝えると、温厚な辻井さんが熱くなって私に応える。Photo
「無理言うなよ。上がってきたラッシュを全部注ぎ込めって言ったのは自分じゃねえか。どんなに急いでもかかるもんはかかるんだ。あと30分、待ってくれ」
と言われても、そのまま返事をしたのでは監督を怒らせるだけだ。
「もうすぐ出来るそうです」と伝えて私は逃げるように監督室を出た。幸い黛さんが監督の相手をしてくれていたので助かった。

 サード助監督が私を慰めてくれた。「撮影が遅れてカリカリしてんだよ。余り気にするな」
私は頷いた。音楽ラッシュは午前1時半になった。深夜の所内に私のマイクの声が静寂を破るように響いた。
「舛田組、舛田組、只今から音楽ラッシュを開始します。関係者の方は至急試写室にお入り下さい」

 かくして音楽ラッシュが始まった。私は黛さんと最後部のシートに腰かけ、画面を見ながら検尺する。未見の方のためにストーリーを紹介しよう。

小林旭扮する主人公滝口哲也は医師として将来を嘱望されていたが、或る日何の遺恨もないやくざに恋人を殺された。その日から哲也は狂ったようにそのやくざを捜し求めた。

哲也はピアノ弾きと称して黒沢組と抗争中の佐伯組に潜り込んだ。佐伯組に出入りする老医師、水町にはインターンの清純な娘道子(芦川いづみ)がいた。黒沢組と佐伯組の不和に乗じて相川一郎(二谷英明)という拳銃ブローカーが出入りを始めた。

昔、哲也に命を助けられた相川は、哲也が恋人を撃ったスペイン製のゲルニカの弾丸を探し求めていることを知り愕然とした。日本に三つしかないというゲルニカを弟の次郎(垂水悟郎)は持っているのだ。

次郎は兄の忠告を嘲い、哲也を狙った。哲也は腕を掠った弾が、ゲルニカの弾丸と知って小躍りした。次の夜、ゲルニカの弾丸は哲也を逸れて水町医師を殺した。娘の道子は父に取り縋って泣いた。

黒沢組が次郎を客人に迎え、佐伯組に殴り込んで来た。哲也は宿敵ゲルニカと対決、一瞬、次郎の拳銃が飛び、一郎が次郎の助命を乞うた。

次の夜の決闘を哲也に約した次郎は、情婦由美(南田洋子)を訪れる。だが、高飛びの同行を拒まれ、カッとして由美に殴りかかった。その時、不気味な音を立てて次郎の腕が折れた。それは醜い義手だった。次郎は由美を殴りつけ、哲也を求めて決闘場に向かった。

暗闇の中、次郎と哲也は対峙した。次郎の一発が哲也の首にかかったゲルニカの弾丸をはねた。復讐の呪いは解けた。銃を捨てた哲也に次郎が迫る。勝ち誇ったように哲也を狙う次郎、その時、由美を慕うチンピラの透(和田浩治)の拳銃が火を吹き。次郎は倒れた。

次郎を救おうと哲也の必死の手術が始まった。医者としての再起を賭けた手術だ。哲也の滴り落ちる汗を拭いながら助手を務める道子。時を刻む時計。手術が終わった。緊張して見守る哲也と道子。次郎の顔に赤みが差してきた。道子が歓びの声をあげた。夜明けの太陽が赤く輝き、次郎がうっすらと眼を開けた。

 ラッシュを見ながら私は数日前の舛田組夜間オープンを思い出していた。たまたまその夜井田組「トップ屋取材帖 悪魔のためいき」のFDB中で、オープンセットを覗きに行ったのだった。いづみちゃんが佐伯組の建物に入って行くシーンだ。真冬の1月の深夜とあって凍るような寒さだ。出番待ちのいづみちゃんはガタガタ震えていた。ドラム缶に火は入っていても風が刺す様な冷たさだ。

 私は傍へ寄って、声をかけた。
「風邪を引かないように気をつけて下さいよ」
「有難う、大丈夫よ」
いづみちゃんはそう答えてにっこり笑顔を向けてくれた。

 音楽ラッシュが終わったのは午前3時近かった。私は黛先生に謝った。
「遅くまで済みませんでした。お疲れになりましたでしょう」
「大変だよね、舛田組の仕事は。神経使うだろ」
黛先生は、そう答えて下さった。

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黛敏郎の世界

 音楽ダビングの日は本来の担当の中川さんがやってくれたので私はお手伝いするだけだった。終わって、旭さんの主題歌のはめ込みだ。ダビングで録ったカラオケに歌を乗せるのだ。

 間近で旭さんの歌を聞くのは初めてだ。頭のてっ辺から出るような甲高い独特の声。私は何時の間にか聞きほれていた。家路を辿りながら、「やくざの詩」を歌っている自分に気付いて思わず笑みがこぼれた想い出も懐かしい。

これは漫画の「ブラック・ジャック」を思わせるような映画である。

初号試写の評判は良かった。ヒューマニズム溢れる作品になったようである。自分のタッチした作品の評判がいいと本当に嬉しいものだ。

確かこの年、1960年の9月か12月だったと思う。音楽事務とエキストラ業務が統合されて東京芸能株式会社が設立されたと思う。社長は日活撮影所の宣伝課長だった小宮正雄さん、従業員には隅田さん、鈴木さん、吉永さん、それに私がいた。東京芸能は後に日活芸能と社名を変更したようだ。

当時、シナリオライターを志していた私はペンネームとして大西彬夫(あきお)や理也(まさや)などを使っていた。

≪見ておきたい邦画≫

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ギターを持った渡り鳥

「渡り鳥シリーズ」第1弾!!

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王将

不世出の将棋指し、坂田三吉を描く伝記ヒューマン・ドラマ

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愛妻物語

新藤兼人の監督デビュー作で自伝的物語

≪見ておきたい名画≫

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リオ・ブラボー

西部劇のおもしろさを一気に凝縮した作品

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勝手にしやがれ

ジャン・リュック・ゴダール監督の長編デビュー作で映画史上に輝く傑作

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或る夜の出来事

クラーク・ゲイブル主演の傑作ラブコメディ

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赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」

         撮影所時代 (その9)

 

 赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」
赤木は裕次郎、旭に続く第三のヒーローとして売り出された。デビュー作は私の担当作品「拳銃0号」である。SP物として作られた作品で、「霧笛が・・・」は赤木主演のロマンティック・ミステリーだ。

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 監督は山崎徳次郎、企画・水の江滝子、音楽・山本直純、共演者は葉山良二、芦川いづみ、吉永小百合が出演している。水の江プロの仕事を担当させて貰ったのは初めてのことだ。 

 水の江さんは何とも気さくな人だった。愛用のタバコはマールボロ一辺倒。それとアシスタント・プロデューサーの羽田さんが親切な女性で、よく面倒を見ていただいた。羽田さんは「オハネ、オハネ」とみんなに愛されている人であった。

 本作品は映画「第三の男」を下敷きにした巧妙な作品で、熊井啓の脚本である。

 すずらん丸はエンジンの故障で出航を延期し、船員は陸に上がった。航海士の杉(赤木圭一郎)も船員たちと酒場“35ノット”に行くが、船員が女給のサリー(天路圭子)にからんだことから乱闘になる。杉も警官に連行された。

翌日、杉は友人の浜崎(葉山良二)に会いに出かけた。しかし、浜崎は二週間前に突堤で溺死体になって発見されたという。当局は自殺と断定していた。だが、浜崎の妹ゆき子(吉永小百合)は誰かに殺されたと思うという。森本刑事は浜崎が麻薬の売人だったと教えた。

杉の留守にサリーから電話がかかったと聞いて、会いに行くと彼女は既に殺されていた。杉は浜崎の恋人美也子(芦川いづみ)と浜崎の溺死現場に行く。ロープが刃物で切られたことを知った杉は他殺と判断した。

浜崎と美也子は“35ノット”の支配人渡辺の配下に襲われるが、撃退した。渡辺一味はサリーの友人和子(堀恭子)の命を狙っていた。杉は和子をすずらん丸にかくまった。和子はサリーの恋人が浜崎溺死事件の日から行方不明になっているという。浜崎が生きているのではないかと思った杉は、浜崎に会わせろと渡辺に詰め寄る。

浜崎が姿を現した。彼は杉に事件から手を引けと言う。杉がすずらん丸に帰ると、森本刑事から封書が届いていた。中には浜崎の麻薬密売の証拠写真が入っており、浜崎の居場所を教えるように書いていた。浜崎を自首させようとする杉。浜崎は麻薬を持ち出し逃亡しようと企てる。それと知った渡辺一味は浜崎を殺そうとする。

浜崎が隠れ家のホテルに帰ると杉と美也子が待っていて自首を勧めた。浜崎は二人に拳銃を向けた。その時、森本刑事が駆けつけ浜崎は逮捕された。だが、エレベーターに殺し屋がいた。刑事が殺し屋の相手をしている隙に浜崎は逃げ出した。しかし、浜崎は肩を撃たれ、やがて死んだ。翌朝、出航するすずらん丸を見送る美也子、船上には杉の姿があった。

赤木と芦川の淡い恋ごころを絡めた見ごたえのある作品だ。初号試写の評判もまずまずであった。山本直純さんの音楽もよく出来ていたと思う。          Photo_4

MDBの時の直純さんの指揮はまことにユニークだった。指揮棒を振りながらここぞというアクセントをつけるところでは、ヒョイと飛び上がるのだ。”ヒゲの直純さん”で通っており、かなり背は低かったが、人間的にはとても面白い人だったと記憶している。

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直純さん追悼の作品集

監督の山崎さんはSP作品の「事件記者」シリーズばかり撮らされていたのだが、ようやく認められ、赤木や旭の作品が撮れるようになったのは、デビュー作から付き合っている私には嬉しいことだった。そんなこともあって度々セットを覗きに行ったものだが、セットの出入り口でよくいづみちゃん、小百合ちゃんと出会ったのも懐かしい想い出だ。

≪見ておきたい邦画≫

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明日は明日の風が吹く

あの日の裕ちゃんが甦る

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用心棒

見る人全てを魅了する”痛快チャンバラ時代劇”

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黒い十人の女

共謀して男の殺害を企てる女たち 市川崑のサスペンス・ワールド

≪見ておきたい名画≫

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OK牧場の決闘

これぞアクション映画の決定版!!

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八十日間世界一周

史上最強のエンタティンメント作品

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哀愁

時代を越えて胸を打つメロドラマの最高傑作

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裕ちゃん アメリカへ逃避行

        撮影所時代 (その10) 
 
Photo  1960年(昭和35年)1月、裕ちゃんと北原三枝さんはアメリカへお忍びで渡航、頑としてスター同士の結婚を許可しようとしない堀社長に対するデモンストレーションだった。

 堀社長からの連日連夜の電話攻勢にも裕ちゃんは頑として応じず、徹底抗戦、遂に堀社長からの「ケッコンユルス スグカエレ」の電報を受け取り、それでやっと帰国の決意をしたと言う。

 2月に入って帰国、戦線に復帰した。愛する人とどんな障害があっても結ばれるまで戦い続ける裕次郎の姿勢に、密かに拍手を送っている人は多かったと思う。

 堀一族の専横に対して敢然と戦いを挑んだ裕ちゃんを、ほとんどのスタッフやキャストは、応援していたと言えよう。
 それから結婚式まで、プロデューサー室で水の江さんをはさんで仲良く話を交わしている裕ちゃんと三枝さんの姿をよく見かけたものだ。
                                                                                               Photo_2             

 そして同年12月2日、裕次郎と北原三枝は日活国際会館で華燭の典を挙げた。披露宴に招かれた客は巨人の長嶋茂雄、歌手の江利チエミ、プロレスラー力道山ら各界の著名人ばかり。報道陣もテレビや週刊誌など100社以上つめかけたそうである。

 勿論、日活の監督や俳優のほとんどが出席、その日の撮影所内は閑散として開店休業の有様だった。

 世紀の結婚式はこうして終わった。結婚を機に北原三枝は引退、裕次郎を支える側に徹したのだ。彼女の姿勢は立派だったと言えよう。三枝さんの現役最後の作品は裕次郎との共演作、「闘牛に賭ける男」であった。
 この年、日活は裕次郎、旭、赤木の3人に和田浩治を加えてダイヤモンド・ラインを結成、攻勢に打って出た。和田浩治は裕次郎に似ているということでスカウトされたのだが、第2の裕ちゃんには幼すぎてなり得なかった。ジュニア版”渡り鳥”作品が次々と企画されたが、主役を張り続けるには残念ながらいまいちの感があった。
≪見ておきたい邦画≫
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独立愚連隊
はみ出し者小隊の炸裂するガンファイト!!
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日本誕生
太古のドラマと神話が融合した一大スペクタクル巨編
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彼岸花
豪華な映像が、頑固な親娘喧嘩をはなばなしく温かく盛り上げる
≪見ておきたい名画≫
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死刑台のエレベーター
サスペンス映画の傑作 閉じ込められたエレベーターから脱出は?
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大いなる西部
力と力の対決 誇りはどこに??
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アパートの鍵貸します
マメで気のいい男が恋をした・・・軽妙な喜劇

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日活の光と影 裕ちゃんの骨折と赤木の死

         撮影所時代 (その11)

Photo 1961年(昭和36年)1月24日、裕次郎は志賀高原でスキー中、右足複雑骨折、4ヶ月の入院生活をおくることになった。日活に取ってはこの上ない打撃であった。スポーツマンの裕ちゃんのこと、単独で転倒したとは思えない。倒れていた女性にぶつかりそうになり、避けるために転倒したと聞いたような気もする。この方が心やさしい裕ちゃんらしい。

そしてそのショックも醒めやらぬ2月14日、今度は赤木がゴーカート試乗中に、ステージの鉄扉に衝突、約1週間死線を彷徨った末、21日に帰らぬ人となった。Photo_2

まるで悪魔に魅入られたかのような悲劇の連続に、撮影所中、声もなかった。赤木の悲報を知った人々はみんな泣いた。私も赤木のために一掬の涙を流した。女優さんが食堂で泣き咽んでいるのも目撃したし、中でも通路ですれ違った小百合ちゃんやいづみちゃんの目が赤くなっていたのも見た。

食堂前から鉄扉まで直線距離にして凡そ50メートル余りあっただろうか。Tの字の先に激突したのだ。昔の事だけに勿論ヘルメットも着用していない。運悪く鉄扉の前でアクセルとブレーキを踏み間違えたのであろう。

相次ぐ衝撃にダイヤモンド・ラインは再編成を余儀なくされた。この大ピンチを9月まで裕次郎作品抜きで乗り切らねばならない。スタッフ、キャスト全員悲壮な決意を胸に秘めていた。

Photo_3 会社はバイ・プレイヤーの宍戸錠、二谷英明の二人を主演級に昇格させ、旭、浩治の4人で第二次ダイヤモンド・ラインを構築した。起死回生の妙薬になったのは錠さんの"稼業シリーズ”だったように思う。

夏の頃、裕ちゃんが松葉杖を一本ついて、右足に包帯を巻いた痛々しい姿でプロデューサー室に来るのを見かけたことがある。私が丁度部屋を出たときだ。
「ターキーさん、いる?」
「いませんが。部屋で待っていて下さい。お探しして来ますから」
「頼むよ」
そう答えてにっこり笑いかけてくれた。その時の笑顔が今も目に浮かんでくるようだ。水の江さんを探して伝言し、部屋に戻って裕ちゃんに報告したのを覚えている。裕ちゃんはリハビリの様子を首脳陣に報告にきたようだった。

9ヶ月間、裕次郎作品なしで乗り切らなければならなかった日活は、第2次ダイヤモンドとともに吉永、浅丘で女性路線を敷いた。また高橋英樹をデビューさせ、アクション映画の仲間入りをさせた。

だが、懸命のてこ入れにも関わらず、興行成績は次第に下降線をたどりはじめたようだ。

≪見ておきたい邦画≫

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野菊の如き君なりき

木下恵介監督が斬新な演出で映画化した悲恋物語

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無法松の一生

小倉の空に響く松五郎の祇園太鼓の音・・・

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乳母車

詩情豊かな珠玉の名編 裕次郎名作の1本

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松原智恵子のデビュー作 「男にゃ男の夢がある」

         撮影所時代 (その12)
松原智恵子、彼女は1961年1月頃のデビューだったと思う。作品の公開が確か1月、裕ちゃんの骨折の前だったような気がする。それはともかく監督は井田探さん、音楽監督は河辺公一さんだった。河辺さんはジャズ畑の人だ。

主人公は長門裕之、その相手役に松原智恵子、他に森川信、南寿美子。SPモノのセールスマン物語である。

チーコの役は品物が売れず、気分もどん底の長門を優しく励まし元気を取り戻させるという役だ。
Eisya_2 彼女はアフレコで苦労したようだ。アフレコというのはアフターレコーディングの略で、ロケーションで絵を撮り、撮影後セリフをその絵に合わせて入れなおすことだ。初めてのことで慣れなかったのだろう。助監督がきっかけを送るのだが、どうしてもワンテンポずれるのだ。私は監督に用事があって、アフレコルームを覗いたところ、この場面にぶつかった次第。
「セリフが棒読みだ、感情がこもってない。もう一度!」
やっと口の動きが画面と合ったと思うと、監督の叱責が飛んでくる。感情を込めると遅れる、セリフを間違える、次第にパニックになった彼女はとうとう泣き出した。
「ダメだ、30分休憩!」
監督は外へ出ていった。日頃おとなしい監督も頭に来ているようだ。
助監督が懸命に彼女を慰めてやっている。そして再開、だが、今度は録音の橋本さんからダメが出た。泣いたために声質が変わっているというのだ。結局、この日は中止となったようだ。
その後、再度の挑戦は彼女の一発OKになったそうだ。中々根性があるなと私は思った。
無事にクランクアップして、音楽ダビングもことなく終了、残すはフィルムダビングだけになった日のことだ。

朝9時からのFDには私も参加していた。録音技師の橋本さんとチーフの紅谷さんが並んでいる横に坐って伝声マイクで2階の映写室に「映写部さん、ダビング1行きます、用意、スタート」と号令役をやっていたのだが・・・。

昼過ぎだったと思う。気がつくとチーコが私の横に坐っていた。
「どうしたの?」私が尋ねると彼女はこう答えた。
「ダビングって、どんなことをするのか知りたかったの」
「頑張って最後まで付き合うか?途中で逃げ出すか?」
紅谷さんが茶化すように言う。彼女は唇を尖らせて「私、最後まで頑張ります」と言ったものだ。

私は号令役をチーコちゃんにまかせた。彼女は元気のいい声で「用意、スタート」とやっている。気のせいか映写部さんのフィルムを架けるスピードが速くなったような気がした。

「私、一度、用意スタートって言いたかったの」と彼女は笑顔で云った。
「幾らでも云えばいいよ」と言って私も笑った。
Photo_2
夕食休みが過ぎ、ダビング再開となった。チーコちゃんはちゃんと元の場所に坐っている。さすがに私もビックリした。幾らデビュー作と言ってもダビングまで付き合う女優さんはまずいない。やってきても1時間も居ればいい方だ。紅谷さんも「無理しなくて、いつ帰ってもいいんだぜ」と言い出す始末。

だが、彼女は「お二階さん、テスト行きます」とやっている。号令の合間に何か一生懸命にノートに書いている。私が覗き込むと「ねえ、この方がいい?それともここをこうした方が良く見える?」と私に聞く。サインの練習をしているのだ。
                                           Photo
私は思いがけず松原智恵子のサインの練習につき合わされてダビングの終わったのは夜10時すぎだった。私は「お疲れさん」と彼女の労をねぎらった。
「お疲れ様でした。サイン、やっぱりアレにするわ」
と笑顔で俳優部の方へ去って行くチーコ。おとなしいけどガッツのある女優さんだった。
その後、松原智恵子は「一石二鳥」「機動捜査班 秘密会員章」「紅の銃帯」「大当たり百発百中」と立て続けに出演、スターへの階段を着実に上っていくのである。
≪見ておきたい名画≫
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ハムレット
生きるか 死ぬか それが問題だ シェイクスピア文学の不朽の名作
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イースター・パレード
アステアがジュデイを相手に華麗なステップを披露!
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ジェーン・エア
19世紀のイギリスを舞台に幸せを掴む少女の半生を描いた傑作

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豚の大群 大通りをトン走!! イマヘイさんの異色作 「豚と軍艦」秘話

          撮影所時代 (その13)

私がイマヘイさん(今村昌平)に会ったのは昭和36(1961)年頃だったと記憶している。アシプロの友田氏と今村組のキャメラ・テストの現場でお会いした。それまでは所内でお姿を遠望するのみであった。

Photo 数ある今村作品の中でも私の好きな作品と言えば、「豚と軍艦」だ。この映画は横須賀を舞台に、長門裕之演じるチンピラやくざの生き様を通して社会批判にまで昇華した初期の名作である。

友田氏に紹介された私にカメラテスト中のイマヘイさんは開口一番こう云ったものだ。

「まだ一人者だろう。いい子がいるぜ、紹介してやろうか」と。私は丁重にお断りしたのを覚えている。「その気になったらいつでも云うてきな」イマヘイさんは重ねてそう云ってくれた。私は外交辞令ではなく、暖かいものを感じた。

その時の用事が何であったか忘れてしまい、さっぱり記憶にないのに、そこで吉村実子を見たのは覚えているのだから不思議なものだ。吉村実子は芳村真理の妹で、確か本作でデビューしたと記憶している。姉の吉村真理さんも近くでテストを見守っていた。

私の大学時代の親友、Taniguchi君が製作部の助手で参加し、豚係りで活躍したのも懐かしい思い出だ。彼の話によると豚集めは大変だったようだ。近郊の豚屋を廻ってここで10頭、あっちで20頭という具合に豚を集めて来る。そして豚の戸籍簿?を作る。豚を顔で区別出来ないから豚の体に印をつけたそうだ。借りてきた豚を撮影が終わると元の持ち主に返さなければならないからだ。

100頭の豚集めは簡単ではない。借りてきた豚は臨時の豚小屋を作り、誰かが面倒を見なければならない。Tanigchi君がその責任者に選ばれた。豚を抱いて豚小屋で寝たこともあったらしい。日が経つに連れ、Taniguchi君の身体からは豚の香りが漂って来た。彼が傍に来ると思わず鼻をつまみかけた気がする。

「豚と軍艦」のクライマックスシーンは日活撮影所内のメインストリートで撮影された。本館Photo_2 と対面する食堂を挟んで横須賀のドブ板横丁のオープンセットが見事に再現され、歩くと横須賀の町を歩いているような錯覚に陥ったものだ。

撮影が始まった。豚を満載したダンプカーが行列を作って走って来て止まる。機関銃を手にした長門がやくざたち目掛けて発砲する。そしてダンプの荷台を片っ端から上げて行く。驚いたのは豚たちだ。いきなり荷台から転がり落ち、おまけに後から落ちてきたヤツがその上に乗っかる。下敷きになった豚は骨折して立てなくなったり、小さい豚は重みで圧死、いやトン死したりした。ダンプから落ちる豚のシーンはなんとも壮観だった。

圧巻は豚のトン走シーン。シナリオでは簡単だが、撮影は簡単には済まなかったようだ。肝心の豚が一向に走ってくれない。イマヘイさんとカメラの姫田さんは大クレーンの上から盛んに怒鳴る。「そこの豚が少ない!」とか「絵にならない!」「もっと豚を走らせろ!」・・・と。その度に豚の黒子役の浦山さんはじめ助監督は四つん這いになって豚の間を走りまわる羽目になる。

Buu 主役のチンピラは警官隊に撃たれ、豚に追われ、遂には便器に顔を埋めろように死んでいく。実に無残な最期である。ラストシーン、吉村実子が顔を上げて歩いていく場面が印象的だった。

この作品、制作費が相当にオーバーしたそうだ。豚の借り賃、死んだり怪我をした豚の買取代金や慰謝料など脚が出た。買い取らざるを得なかった豚は解体されてスタッフの胃袋に収まったと聞いた。

そう云えば他の作品の時より、浦山チーフ助監督の製作部長の隣に坐る時間が長かったように思う。この浦さん、フィルムが少なくなると、フィルム代交渉のために製作部長の隣のソファに腰を下ろし、部長がウンと言うまで一歩も動かなかったという。

作品の出来は良かったが、製作費のオーバーで、今村さんは2年ほど干されたようである。その間は三島の山奥に隠遁生活をし、晴耕雨読の日々を送ったそうだ。さすが天下のイマヘイらしいと思う。

≪見ておきたい邦画≫

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素晴らしき日曜日

愛さえあれば夢もお腹もふくらむ??? 鬼才黒澤明の名作

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本日休診

休みに限って多忙な訪問者 渋谷実監督の傑作

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雪国

愛のせつなさがシンシンと降る雪に溶けていく・・・ 巨匠豊田四郎の名作

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映画監督の”飲み助筆頭”は誰???

            撮影所時代 (その14)

撮影所というところは一風変わった人間が生息する場所のようだ。私の知る限り何と云ってもその筆頭は浦山桐郎氏だ。異端児であり、天才でもあった。

彼は浦さん、浦公で通っていたが、助監督としても最優秀の折り紙を師匠の今村昌平氏からつけられていた。今村さんがチーフ助監督の時はセカンドで川島雄三監督につき、今村さんが監督に昇進してからは今村組のチーフとして活躍した。

「にあんちゃん」の撮影時のエピソードにこんなのがある。九州ロケのとき、湾を見下ろす大俯瞰のショットを撮るときのこと、画面に砂利運搬船が写りこみ、どうしてもどこうとしない。さすがの今村さんも困り果てた。カメラの姫田さんも「浦公、何とかしてこい」と喚く。製作部サイドが何度も交渉に行ったが、一向に動いてくれないのだ。

浦さんが掛け合いにはしった。待つこと30分、なんと砂利船が動き出したではないか。姫田さんはチャンス到来とばかりに撮影を完了させた。浦さんがどんな奥の手を使ったのか誰にももらさなかったが、この一事で助監督としての評価は最高にあがったという。

浦さんが日活に入ったのは偶然からである。助監督試験で合格したのは松竹だった。次点で落ちたのがなんと、山田洋次氏だったそうだ。それが運命のいたずらで、身体検査で肺に影があるという理由で浦さんは松竹を落とされ、代わりに山田洋次氏が合格した。後に大ヒットシリーズ「寅さん」を撮った山田洋次監督である。浦さんは製作再開したばかりの日活に入社した。

浦さんは普段傍で見る限りまともな助監督だった。ところが酒が入ると人間が変わった。猫が変じて虎になるどころか、まともではなくなるのだ。小男の部類に属する浦さんだが、見境なく相手に突っかかっていく。とことん絡みぬく、そして喧嘩になる。やくざと殴り合いボコボコにされることも度々だったらしい。撮影所の人間は大抵浦さんと飲むのは遠慮したそうだ。

Photo そしていまひとつユニークな奇行がある。別名「泣きの浦」とも呼ばれていた。イマヘイさんと飲みにいき、酒が入る。頃合いを見てイマヘイさんが「ウラ公、泣いてみろ」という。すると即座にウラさんは泣き出す。それもヨヨと泣き咽ぶのだ。本当に涙を流して男泣きするのである。そしてイマヘイさんが「やめろ」と言うやケロッと泣き止むのだから大概の人は驚く。

世に奇行の持ち主は多いと言えど、こんな芸当が出来たのは浦さんだけだろう。酒が入ると泣き出す人は多いらしいが、泣き節をどのようにでもコントロールできたのは浦さん位だろう。ともかく浦さんは何から何までケタ外れの人だったようだ。

浦山さんや今村さんを見ていると監督業はとても気楽な稼業とは思えない。というよりも現場監督に近いと思う。現場で怒鳴りまくり、役者に演技をつけ、予定をこなさないといけない。重労働にどうしてもなってしまう。体力勝負にならざるを得ない。だから酒を飲まずにはいられないのだろう。    Photo_2

助監督時代の浦さんは、よく製作部長の隣に座り込んでいた。最初は今村組の撮影中なのにチーフがよくまぁ油を売ってると私は思ったものだが、実はフィルムをもっとよこせと言う交渉だった。それも要求貫徹まで座り込むのである。

製作部長も相当音を上げていたようだ。机の隣のソファに坐られたままでは仕事にならず、席を外して時間を置いて戻ってみても、浦さんは坐ったままだ。一度浦さんが怪談のお岩のような顔で坐っているのをみたことがある。前夜の絡み酒の名残だったが、コレは相当に不気味だった。その蛇のような目で見られると部長もぞっとしたと思う。

製作部に浦さんが坐っているとフィルムが足らないんだなと、皆が思うようになった。だがコレは実は浦さんの発想ではない。師匠の今村さんの編み出した作戦なのだ。今村さんが川島組のチーフのときから始まったそうだ。でっぷり太ったイマヘイさんならさぞ押しが強かっただろうと思うが、やせで小男の浦さんはその蛇のような目で部長と勝負したようだ。

もうすぐ盆がくる、お二人とも今は天国の住人だが、さぞかし賑やかに芸術論争をしていることだろうと思う。

≪見ておきたい名画≫

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三つ数えろ

ハードボイルド映画の決定版!!

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夜ごとの美女

毎晩夢の中に絶世の美女が訪れる そんな夢なら毎晩見たい!?

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逢う時はつも他人

刹那的な恋に身を焦がす大人の恋物語

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旭と小百合 日活唯一の共演作 「黒い傷あとのブルース」

              撮影所時代 (その15) 

1961年(昭和36年)公開の「黒い傷あとのブルース」は記憶に残る作品だ。旭が吉永小百合と共演した唯一の日活作品だからか、ラッシュを何回も見たからだろうか。アキラのダビングであの独特な歌声を聴いたからだろうか。小百合ちゃんは当時、売出し中でヒロインとしては、まだ未成熟だった。だが、そんな幼さが印象に残る忘れられない映画だ。                                  Photo

この作品は極めて極上の推理サスペンスに仕上がっている。野村孝監督の作品としては上の部だと私は思う。出足からよく出来ていたと記憶している。それと何といってもアキラの歌が良かった。

音楽監督は大森盛太郎さんだ。音楽監督の長老格の方である。まだ若い私の青臭い映画批評の話をよく聞いていただいたことを覚えている。大森先生とは10本以上お付き合いさせていただいた。                            

ラストシーンが、今も眼前に甦る。渡(小林旭)に寄せる洋子(吉永小百合)のせつない慕情・・・父を亡くした洋子は一人ぼっちになった。渡への恋心だけが生きる糧。洋子は、喫茶店で渡を待った。が、遠くから彼女の姿をじっと見ただけで、渡の白いトレンチ・コートは霧の中に消えていくのだ。撮影のとき、私は小百合ちゃんの目に本物の涙が浮かぶのを見たように思う。

≪見ておきたい邦画≫

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秋刀魚の味

”しあわせ”とは何だろう???

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蜘蛛巣城

”マクベス”を日本の戦国時代に翻案した名作

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あいつと私

裕ちゃんの青春ドラマ

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代棒振りのマジッシャン!!

        撮影所時代 (その16)

代棒振りと言っても???と分からない人がほとんどだろうと思う。日活撮影所で働いていた頃のことだ。スタジオ・ミュージッシャンを指揮するのは作曲家の仕事だが、作曲家の代わりに指揮だけを専門にしている人がいた。

元、作曲家で代棒専門の人、名前は吉沢博と言った。音楽ダビングの時には必ずと云っていいほどこの人を見かけたものである。吉沢さんを頼まなかったのは、元俳優で監督の小杉勇氏のご子息、小杉太一郎さんぐらいだろうか。           

吉沢さんが指揮をすると、ダビングにかかる時間が少なくとも30分は短くなっただろう。それは見事なものだった。音楽ダビングの現場では幾ら検尺をしていてもフィルムの編集で時間が変わるのが普通である。秒単位で長くなったり、その場でカットされて短くなることもまれではない。

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そうなるとその都度、吉沢さんと音楽監督がスコア(譜面)を挟んで打ち合わせだ。そしてラッシュを見ながらテスト、テスト一回、本番テスト一回、お次は本番だ。それも一発OKである。

3分以上の長いシーンでも、きっちり長さを合わせてくれる。それはもう見事を通り越した妙技の世界であり、マジックと言う他なかった。この人のお陰で音楽監督はどれだけ助かったか分からない。何せ録音技師だけでなく、監督が舌を巻いたことも度々だった。楽士さんたちも仕事が早く終わるので喜んだ。

吉沢さんが指揮をして音楽ダビングに時間がかかったという記憶は全くない。文字通りマジッシャンだったと思う。だが、吉沢さんとて身はひとつ、音楽監督に頼まれても他社のMDBでほかの作曲家に既に拘束されていることもある。そうなると音楽監督が指揮を取らざるを得なくなる。

吉沢さんがいれば、音楽監督は金魚鉢の監督の傍にいて、監督の意向を聞いてすぐに直しを吉沢さんと打ち合わせすればいいのだ。いないとそれが出来ない。テストの度に監督が金魚鉢から出てきて音楽監督と打ち合わせをしなければならなくなる。それだけ余分に時間がかかり、時間が遅くなるのだ。

今日は懐かしい思い出の一景を書いてみた。恩恵を蒙った作曲家の中にはヒゲの山本直純、佐藤勝、黛敏郎といった錚々たる先生方もいたのである。

≪見ておきたい名画≫

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