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「夜明けのうた」は私の人生の夜明け?

           撮影所時代 (その26)

1964年から1965年にかけて、「海賊船 海の虎」、「生きている狼」、「男の紋章 喧嘩状」、「拳銃野郎」と立て続けに井田組の作品を担当した。音楽監督はどれも山本丈晴さんだ。

「海賊船 海の虎」は錠さんの主演で共演は二谷英明、松原智恵子の海洋物だ。ダビングルームで「カ~ラ~ス~ なぜ鳴くの~」とチーコが『七つの子』をプレスコ録りしたことを思い出す。デビューの頃と違い松原智恵子は落ち着いていた。態度、物腰もスターに近づいたなと私は見ていた。

「生きている狼」は小林旭主演、長内美那子、笹森礼子の共演で遊郭もの。小林旭が命を張って女郎を助ける筋書きだ。

「男の紋章 喧嘩状」、これは言わずと知れた「男の紋章シリーズ」の一本。高橋英樹と和泉雅子のコンビ作品。ラッシュを見ていると英樹もかんろくが出てきたなと思ったものである。

Photo_2 続く「拳銃野郎」はターキーさん、水の江滝子の企画で、主役のキラージョーに高橋英樹、コンビの親父に伊藤雄之助、女優陣には十朱幸代、伊藤るり子、他には名古屋章、ゲストとしてアントニオ古賀が出演している。

確か音楽ダビングの日だったと記憶しているが、アントニオ古賀さん、丈晴さん、それに丈晴氏のお弟子さんのギター3挺での演奏を聴いた覚えがある。

これは滅多に聴くことが出来ない見事な演奏だった。録音部さんはじめ、スタッフ全員がしばし聞きほれたものだ。

出来上がった作品の評価も中々良かったと記憶している。水の江さんが云ってくれた一言が私にはとても嬉しかった。「丈晴さんの音楽、良かったじゃない」と。

この作品、高橋英樹と伊藤雄之助のコンビがいい味を出していたと言えるだろう。

1965年(昭和40年)3月、私は大阪・堺で結婚式を挙げた。自分ではまだ早いと思っていたが、母が次々に世話役の伯母さんが持ってくる釣書を見せるので根負けして遂に承知したのだ。見合い結婚だった。活動屋などまともな仕事だと思ってくれず、断られるのも再三、何しろ給料の安さがネックになったと言えよう。

そんな中、相手の父親、田辺松太氏に気に入られ、田辺家の二女田辺嘉子と華燭の典を挙げた。新婚旅行は北陸・金沢方面を訪れた。帰路は小松空港から初めての飛行機に乗り、杉並区下高井戸の新居に落ち着いた。新居と言っても6畳一間のアパートだ。

撮影所では、山本丈晴さん、明治の先輩Imado氏、プロデューサーの友田氏が発起人になり、「祝う会」を開いて下さった。場所は渋谷の「獅子林」、時は昭和40年3月21日夕べのことだった。

Photo 発起人を代表して丈晴さんが挨拶して下さり、Imado氏の乾Photo_2 杯の音頭で宴は開始された。撮影所製作部次長の鈴木先輩、児井プロ、山崎監督、作曲家の小杉太一郎氏、など怱々たる方々にご挨拶を頂戴した。

また、プロデューサー室の神谷和枝嬢、大学時代からの友人、谷口君からも心のこもった挨拶をもらった

司会は桂小金治師匠のお弟子さん、桂小かんちゃんがやって下さり、大いに笑いで座を盛り上げて下さった。かくして、私は新しい人生のスタートを切ったのである。新家庭のスタートは部屋に家具らしいものはなく、少しずつ買い揃えて行かねばならなかった。結婚まで生活費のことなどとんと念頭になかった私だが、これからはそんなことではいけないと痛切に感じていた。

Photo この年のゴールデンウィークに入った頃、蔵原組の「夜明けのうた」がクランクインした。これは岸洋子さんのヒット曲の映画化作品で、音楽監督はいづみたく氏。出演は主役の緑川典子に浅丘ルリ子、相手役に浜田光夫、他に松原智恵子、岡田真澄という布陣だ。勿論、岸洋子も歌手役で出演している。

岸洋子さんの歌のプレスコ録りとルリちゃんの歌の録音を間近で見ることが出来、なんとも素晴らしかった。岸さんはともかくルリちゃんの歌もさすがと思わせるものがあった。

”夜明けのうた”はクランクアップまで何度も口ずさんでいたことを覚えている。音楽監督のいづみたく氏は初めてのお付き合いだったが、中々気さな方であったと記憶している。

それに私にとって、この作品が日活で音楽事務をやった最後ということもあり、思い出深いものがある。というのも花登さんから是非来てほしいと誘われ、花登プロダクションに移ることになっていたからだ。何より給料のアップが嬉しかったので、二つ返事で決めたと言っていいだろう。

最後部中央付近 ルリちゃんの後ろ3列目が私

Photo_5 最後になった作品だからかも知れないが、なんと無精者の私にしては珍しく背広にネクタイである。

当分、撮影所とはお別れになると思うと、なにか無性に寂しい思いがしてならなかった。写真はルリちゃんの右隣が蔵原監督、左隣には園田プロデューサー、その隣がいづみたくさんである。

この作品、メロドラマとして結構評判がよかったと思う。興行成績は今ひとつだったように記憶しているのだが。

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