旧制高校生になった気分で・・・!!??? そしてーー
ノーベル書房・ノーベルプロ時代(その3)
宣伝活動で面白かったのは、「わが青春・旧制高校」のときである。貸衣装屋で旧制高校
の学生用の制服やマント、帽子に高下駄などを借り、表紙用の写真撮影に出かけたことがある。モデルは全員社員だ。勿論、私も参加している。右の写真では右側の先頭を歩いているのが私だ。残念だが、この写真は使われなかった。
撮影者はプロカメラマンの剣持加津夫氏である。枯れすすきの生い茂る深大寺付近の一角で、歩いたり、ポーズを取ってみたり、寝そべったりする我々を剣持さんはバシバシ撮り捲るのだ。モデルというのも疲れるものだと知った。出演料など0円だから余計にそう思ったのだろう。
帰りに深大寺で食った深大寺そばは実に旨かった。
これは昭和43年のことである。年が明けた昭和44年、1月24日午前2時05分、長女加容(かよ)が倉敷で生まれた。私は一男一女の父親になったのだ。責任の重さをひしひしと感じた。
44年になり、ノーベルプロの設立がようやく本格化した。私は友田プロと共にノーベルプロに移行し、そちらに専念することになった。
最初の作品は野坂昭如原作の「ゲリラの群れ」の映画化だ。「極道ペテン師」の題名でクランクイン。監督は千野皓司、主演はフランキー・堺、朝丘雪路。取り巻きのペテン師連中には、伴淳三郎、大辻司郎、南利明、曾我廼家明蝶、それに梶芽衣子、松井康子、清川虹子という豪華キャストだ。
最初は大阪ロケからのスタートだったと思う。私は進行役をやらされたが、まだまだ不慣れなこともあり、失敗が多かった。特に資金がショートすることが度重なったものだ。独立プロの映画作りは厳しいものだと思った。
大阪の天満商店街の二階で撮影が始まると野次馬が大勢現われ、整理に時間を食ったことを思い出す。フラさんや伴淳さんは撮影の合間には野次馬連中と大声で何事か話している。
心斎橋の千日前跨せん橋で撮影したときは人、人、人の山。フランキーと朝丘雪路が語り合う場面だ。1カットごとに橋のたもとにある喫茶店に雪路さんを観客から逃がすのは大変だった。
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