舞台稽古はほとんど深夜
花登プロダクション (その3)
花登さんの芝居の舞台稽古はたいてい夜8時頃に開始されるのが普通だった。新派のもの、関西喜劇人を芯に据えた作品、どちらも根性物が多かった。
私の記憶に残る作品といえば、新派では「つりしのぶ」、喜劇物では「雨のち曇りのち晴れ」、「ステテコ大将」などである。
舞台稽古は深夜に及ぶことが多く、終了するのは明け方というのも度々だった。休憩時間になると仮眠を取る役者さんも多かった。その中には寝込んでしまう人もいて、進行係は困っていることも。そんなとき、花登さんは「何を遠慮してる、叩き起こせ!」と云ったものだ。
休憩の合間にはもっぱら強精剤のアンプルをチュウチュウとストローで飲み、元気をつけて稽古を再開するのが決まりであった。
新派作品には波乃久里子や水谷良重(現・八重子)の出演することが毎回だったように思う。一方、喜劇物では、大村崑、佐々十郎、左とん平、などが必ず出演し、観客を笑わせていた。女優さんで妻でもある由美あづささんには出演場面を作り、見せ場を仕組んでいたようだ。
舞台初日の日は総監室に入って、そこから舞台を観る。そして伝声管を通して舞台裏の演出助手に直しの指示を出すのだ。総監室は客席の一番後ろにあり、オペラグラスを置いてあった。
花登さんのように忙しい人を私は見たことがない。そんな氏の落ち着くときは、銀座のバーでブランデーを飲んでるときか、野球見物だったのではあるまいか。そのときでも脳の一部は激しく動き、絶え間なく脳内で書き続けていたのではないかと私は思う。
花登さんは阪神ファンで、スポーツ新聞社からよく観戦記を依頼されていた。また、読書家でもあった。新幹線内での執筆は有名だったが、乗るたびに書いていたわけではない。文庫本を3冊買い、それを全部読んでしまうのである。速読を実践していたのだろう。書くことにせよ、読むことにせよ、集中力は凡人にはマネの出来るものではなかったといえよう。やはり偉大な人物だったと云わざるを得ない。
花登さんのところでは約1年ほどお世話になっただろうか。その頃、映画製作のプロダクション設立の話が持ち上がり、知り合いの友田プロデューサーから参加しないかと言ってきた。花登さんを紹介してくれたのも友田氏である。返事に窮したが、映画への魅力は絶ちがたく花登さんには無理を言って辞めさせてもらった。
ところが、ところがである。準備は思うにまかせず、社長に予定していた山本一哉氏が暫く見送ろうと言い出した。資金繰りが思うに任せなかったようである。そして私は山本氏の会社ソノ・レコードに籍を置き、開始を待つことになった。昭和41年のことだったと思う。
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