花登プロダクション

超人作家 花登筺さんはいつ眠ったのだろう???

          花登プロダクション時代 (その1)

私が初めて花登さんに会ったのは撮影所の食堂である。友田プロの紹介であった。大日本シリーズがクランクインする前のことだったような気がするのだが。花登さんは関西に拠点を置いていたが、東京にもと考えていたようである。

芝居の作・演出だけでなく、週刊誌の連載小説の執筆、映画の脚本と多忙を極めていた。しかし、花登さんの書く文字たるや分かりにくいこと夥しい。生来の悪筆である。「土性っ骨」の台本を見せてもらったが、伏字ばかりでさっぱり意味が分からなかった。これでは台本を貰った役者さんも困っただろう。

台本は○の連続、今ならワープロという便利な機械があり、どんな悪筆であってもきれいに書いてくれる。だが、当時はそんなものはなく、花登さんは清書係を探していたところに私が出会ったという次第だ。

1週間、10日と花登さんの生原稿に接しているうちにくせ字の判読も次第に慣れてきた。どうしても判読不能文字はあとでまとめて花登さん本人に確認した。半月もしないうちに花登さんの原稿はどうにか読めるようになっていた。

その頃、「銭牝」が週刊誌、「フグとメザシの物語」が新聞小説の連載だった。神経を使ったのは前回までの書き終わりを記録しておくことだ。大阪で新幹線に乗る前に私の家まで電話がある。私が前回の終わりはこうなっていたと数行告げると、「分かった。東京駅に×時△分に着くから、迎えにきてくれ」と云って電話が切れる。

Photo 花登さんの東京駅到着に合わせて私が駅まで迎えに出ると、車中で書いたばかりの原稿を渡してくれる。週刊誌なら一回分、新聞原稿なら7回分は必ず書いていた。これを車中3時間10分の間に書いてしまうのだ。まさに”新幹線作家”にふさわしい。

原稿を受け取った私は、手近の喫茶店に飛び込む。そして、生原稿を清書するのである。私が最初の読者という訳だ。原稿を清書し終えると、再度点検し、その足で出版社や新聞社へ届ける。

それから花登さんのいるホテルへ直行するのだ。花登さんは東京、大阪を毎月半々位のペースで仕事をこなしていた。大阪には正規のマネージャーである村木さんがいた。それに大阪・豊中のご自宅には奥さんで舞台女優の由美あづささん、車の運転手○○君(ご免、尊名を忘れた)がいた。

花登さんを見ていると、仕事・仕事・仕事の連続だ。ほんとに”仕事の鬼”である。並みの人間にはとても真似ができない。”モーレツ人間”を凌駕している。やはり超人がふさわしいと思ったものである。

それにしても、いつ花登さんは眠るのだろう。そばにいる間、花登さんの眠っている姿を一度も見たことはなかった。寝そべって原稿を書いていたり、私が目を覚ますと既に布団はもぬけの殻だったことも度々あったが・・・。

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超速人気作家 花登式台本執筆法とは???

         花登プロダクション時代 (その2)

花登さんの作品執筆法は余人の真似するところではない。私は何本も執筆をお手伝いさせてもらったが、私自身これは到底真似ることなど不可能だと思ったものだ。

舞台脚本の執筆に入る時は、花登さんから連絡が入る。「今夜7時、ホテルに来てくれ」と言われると、私はその時間にホテルの部屋に駆けつける。途中、薬屋に寄って、強壮剤のアンプルを箱で買っていくのである。ホテルはたいてい赤坂プリンスホテルの一室だった。

Photo 小机に向かい原稿用紙を拡げて私はスタンバイする。腹ばいになった花登さんが書き始める。ハコ書きなど見たことはない。メモすら見あたらない。シナリオを書いたことのある方ならご存知だろうが、1場面1場面のセリフや人物の動きなどをハコに書き込んでいく。それがないと前には進めないのが普通である。舞台脚本にしても芝居の大まかな流れを書いて、それを見ながら書くのが大方の執筆法であろうと思う。

ところが花登さんの書き方はそんなものを超越していた。白い原稿用紙を前にして、しばし黙考していたと思うと、いきなり書き出す。それも万年筆である。ハッハッと細かく息を吐きながらペンを動かすのだ。それがモーレツに早いのである。最初は面食らった。ぼんやりしているとアッという間に原稿が5枚、10枚と溜まっていく。私が1枚清書しているうちに3枚は書き終えている。手を休めるのは強壮剤をストローでチューチュー飲んでいる時だけなのだ。

まさに驚きを通り越して唖然、呆然としたものだ。花登さんが書き出した時には既に原稿は頭の中で完成しているのであろう。あとはそれを紙に写し出すだけの作業である。そうとでも思わなければ理解できない。本当に神業に近いと私は思ったものだ。凡人の私などが花登さんの書き方を真似しようものなら、支離滅裂なものが出来上がるに相違あるまい。

2時間程、夢中で書くと「ちょっと出かけてくる」と言って花登さんは中座して何処ともなく出かけていく。私はうず高く積まれた原稿を見ながら、黙々と清書に勤しむのだ。3:1のペースを2:1までもっていくのがやっとだった。何という速さなんだろう、只ただ感嘆するばかり、花登式執筆法なるものは、とても凡人が真似ることあたわずと教えられただけであった。

1時間ほどで花登さんは戻ってきて執筆再開する。そして、明け方には執筆完了する。強壮剤は10本は空になっている。こんな調子で仕事をして大丈夫だろうかと思ったものである。休む間もなく花登さんは清書した原稿に手を入れて行く。私が清書し終えるのとほとんど同時に直しも完了という訳だ。こうして舞台脚本は書き終わりとなる。

花登さんは舞台であろうが映画だろうが一つの作品を書き上げるのはほとんど1晩だった。そして書き上げた作品の舞台稽古が翌々日というケースも稀ではなかった。何しろ売れっ子の花登さんである。毎月、東京、大阪、名古屋のどこかで作・演出の芝居が待っていたのだ。

これは当に鬼気迫るとしか表現できない花登さんの執筆風景だった。

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舞台稽古はほとんど深夜

          花登プロダクション (その3)

花登さんの芝居の舞台稽古はたいてい夜8時頃に開始されるのが普通だった。新派のもの、関西喜劇人を芯に据えた作品、どちらも根性物が多かった。

私の記憶に残る作品といえば、新派では「つりしのぶ」、喜劇物では「雨のち曇りのち晴れ」、「ステテコ大将」などである。

Photo 舞台稽古は深夜に及ぶことが多く、終了するのは明け方というのも度々だった。休憩時間になると仮眠を取る役者さんも多かった。その中には寝込んでしまう人もいて、進行係は困っていることも。そんなとき、花登さんは「何を遠慮してる、叩き起こせ!」と云ったものだ。

休憩の合間にはもっぱら強精剤のアンプルをチュウチュウとストローで飲み、元気をつけて稽古を再開するのが決まりであった。

新派作品には波乃久里子や水谷良重(現・八重子)の出演することが毎回だったように思う。一方、喜劇物では、大村崑、佐々十郎、左とん平、などが必ず出演し、観客を笑わせていた。女優さんで妻でもある由美あづささんには出演場面を作り、見せ場を仕組んでいたようだ。

舞台初日の日は総監室に入って、そこから舞台を観る。そして伝声管を通して舞台裏の演出助手に直しの指示を出すのだ。総監室は客席の一番後ろにあり、オペラグラスを置いてあった。 

花登さんのように忙しい人を私は見たことがない。そんな氏の落ち着くときは、銀座のバーでブランデーを飲んでるときか、野球見物だったのではあるまいか。そのときでも脳の一部は激しく動き、絶え間なく脳内で書き続けていたのではないかと私は思う。

花登さんは阪神ファンで、スポーツ新聞社からよく観戦記を依頼されていた。また、読書家でもあった。新幹線内での執筆は有名だったが、乗るたびに書いていたわけではない。文庫本を3冊買い、それを全部読んでしまうのである。速読を実践していたのだろう。書くことにせよ、読むことにせよ、集中力は凡人にはマネの出来るものではなかったといえよう。やはり偉大な人物だったと云わざるを得ない。

花登さんのところでは約1年ほどお世話になっただろうか。その頃、映画製作のプロダクション設立の話が持ち上がり、知り合いの友田プロデューサーから参加しないかと言ってきた。花登さんを紹介してくれたのも友田氏である。返事に窮したが、映画への魅力は絶ちがたく花登さんには無理を言って辞めさせてもらった。

ところが、ところがである。準備は思うにまかせず、社長に予定していた山本一哉氏が暫く見送ろうと言い出した。資金繰りが思うに任せなかったようである。そして私は山本氏の会社ソノ・レコードに籍を置き、開始を待つことになった。昭和41年のことだったと思う。

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花登さん 麻雀を打つの図

         (花登プロダクション時代)その2A

ある日のこと、花登さんのところへこんちゃんと佐々やんの二人がやってきた。3人連れで遊びに来たのだが、連れの一人は急用を思い出し、途中で帰ったらしい。

「先生とこで麻雀やろか云うて来ましたんや。3人打ちではおもろないし、あんたでけしまへんか」

こんちゃんが、わたしに声をかけてきた。

「わてらの賭けは○○でっせ。やりまへんか」

「あんた、勝ったら儲けもんやがな、やろやろ。な、先生、よろしおまっしゃろ」

佐々やんが調子いいことを言う。

この日は花登さんが借りて間もないマンションで原稿を書く予定で、私は伺っていたのだ。そこへ突然の闖入者である。さすがの先生も佐々やんとこんちゃんに傍で騒がれたのでは仕事にならない。やむなく雀卓を囲むことになった。まだ昼過ぎたばかり。

「気にするな、負けたときは、なんとか考えたる」

との花登さんの言葉で、私も雀卓に座った。

この勝負、花登先生の独り勝ちで終了したと思う。終わって二人がぼやくこと、

「先生にいかれてしもたやないか、だからわて、いやや云うたんや」と、こんちゃん。

「うそつけ、返り討ちにしてまうよっていこ云うたんは誰や」と佐々やん。

稀に見る二人の口喧嘩はおもしろかった。

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